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連載第3回  夢の跡編その1 大嶺炭鉱の軌道跡


地図  美祢線の南大嶺に到着すると、隣のホームに大嶺行のキハ20の単行が我々を待ち受けていた。我々とはかのF氏とわたくしめである。下関に遊びに行くはずが、いつのまにか美祢線くんだりまで来るはめになってしまった。
 さて、大嶺までたった2.8キロ、4分ですぐ到着する。大嶺炭鉱は無煙炭の産出量の多いことで有名であったが、既に廃坑であり、今はシリコンとけい砂を産するそうだ。巨大なボタ山が炭鉱の名残をとどめている。
 そして、もうひとつの名残があった。軌道跡である。
 F氏の記憶によると、昔インクラインを見かけたことがあるそうだ。インクラインとは図のように斜面に線路を敷き、ケーブルでひっぱるもので、ケーブルカーと思えばよい。
軌道跡の番犬
軌道跡の番犬

 それらしい跡もないので、警備員の人に尋ねると、「この先にありますよ」という返事。嬉々として先へ進むと、あった! しっかりと線路が残っていて、今でも走れそう。この感激はわたくしめのつたない文章ではあらわせない。軌道めぐりを実際にやってみないとわからないのだ。F氏も軌道めぐりの醍醐味をわかってもらえたようで、早速奥に進んでみる。
 インクラインであったことを明らかに証明するワイヤーや、滑車が残っていて感激する。家の裏を通り、橋を渡り、奥へ、奥へ。残念なのは朝寝坊をして時間がなく、どうしても終点まで行けないことだ。そろそろ引き返そうかと思うが、くねくねカーブする軌道、次のカーブを曲がれば・・・・・と思うとやめられない。話が脱線するけれども、人生もこれと同じではないだろうか。明日になればいいことがある、明日になれば・・・・・と思って生きてゆくうちに、結局平凡な人生しか送れず、死んでしまうのだ。

 人生とは 軌道めぐり と見つけたり。
インクライン説明図
 馬鹿なことを書いたが、この軌道だって終点まで行ったところで、何もなかったかも知れない。
 帰りは平行する道を歩く。少し離れてみると、軌道がごく自然にまわりにとけこんで、目の前を列車が走ってゆくような錯覚に陥る。現実には走らない。『ああ、もっと昔に来たかった』そういう後悔にも似たやるせない気持ちにさせる。でも、そのやるせなさが好きで、夢の跡めぐり(俗にいう廃線跡マニア)もやめられないのだ。

1978年3月の軌道めぐり
【1978年5月発行キロポスト第62号】




F氏は、山口県出身の大学の先輩で、春休みに実家へ遊びに行ったときのものです。
F氏には申し訳ないのですが、正直インクラインは半信半疑だったのですが、
予想以上に痕跡が残っていて、驚きました。現在はどうなっているのでしょうか・・・・・
寝坊してしまったのは、前夜、F氏の家で夜更けまでぐだぐだと他愛のない話を
していたからなのですが、今さらながら、もっと早起きしてインクラインの終点まで
行っておけば良かったなあなんて思ったりしています。


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