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岩手開発鉄道
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 向かったのは長安寺駅北側の踏切、名称もそのまんまの長安寺駅北部踏切だ。かつての駅舎が残る長安寺駅を通過するシーンを撮ろうという魂胆である。
 列車を待っていると、早速、千葉の撮り鉄の車が踏切を渡ってきて軽く会釈をしあう。彼もここで撮るのかなと思ったら、そのまま日頃市側へ走り去っていった。
 そして盛からやってきた147列車。バックの山が一部紅葉しているところが味噌だ。


長安寺駅通過


 振り返って走り去る列車を見送る。その後ろ姿に言い知れぬ郷愁を感じる。学生時代、青梅線のED16に牽かれたホキ、片上鉄道のDD13に牽かれたトキ・トラ、そんな貨車たちを幾たび見送ったことか。
 「健気じゃないですか」先ほどのNHKのカメラマンに、岩手開発鉄道の良さを尋ねられて思わず出た言葉だ。飾り気のない真っ黒な貨車を引き連れて、来る日も来る日も石灰石を運び続ける。やれIoTだ、AIだと言われる時代になっても、そんな姿が見られること自体、感動的とさえ言える。


郷愁の後ろ姿


 車を邪魔にならない場所にいったん置いて、千葉の撮り鉄の後を追うように日頃市のほうへ歩くと、遠目に件の撮り鉄の車とNHKがチャーターしたタクシーが見えてきた。そこも有名な撮影ポイントの板用橋だ。よし、こっちも合流しようと歩みを進めると、おもむろにタクシーが動き出して向かってきた。車内のNHKのカメラマンと会釈をしあってすれ違い。一方の千葉の撮り鉄は板用橋の上で粘っているので、隣に並ばせてもらい、列車を待ちながらまた撮り鉄話に興じる。
 「本数が多いんで、いつも昼飯を食い損なっちゃうんですよね」彼が言う。かくいう私も、もちろん昼は抜きである。さすが撮り鉄同士、なんて意気投合しても、一般人から見たら何を共感しているのか、理解に苦しむことだろう。
 彼の装備は、今では珍しい6×7のフィルムカメラにデジ一眼、録画用のミラーレスを大きな三脚に備えた本格的なものだ。デジ一眼手持ちのこちらとは大違いの重装備である。そんな装備の話などをしていると、「あっ来た!」と彼の焦った声に振り向くと、すでに148列車がカーブを曲がってきている。いかん、気配がなくて油断していた。急いで構えるが、考えていた構図と全く違ってしまった。彼は三脚だから構図に変わりはないだろうが、録画は間に合わなかったに違いない。
 列車の通過後、なんとも言えない消化不良感が二人を包む。
 「ここでもう少し粘ります」という彼の気持ちはよくわかる。ただ、次は長安寺で交換してくる列車なので、後追いになってしまう。ここへは後でまた来ることにして、「ちょっと移動しますね」と言い残し、再び彼と別れたのであった。
 その後は、沿線の古風な民家を入れて撮ったりしたが、それを公開するのも気が引けるので、長安寺付近のカーブで撮影した1枚だけにしておこう。このころから天候は下り坂で、本来は正面から陽が当たるはずなのに陰ってしまったのは残念。


長安寺付近のカーブ


 そして、もう一度、板用橋にチャレンジ。それでもやはり陽は射さず冴えない出来で、さっき失敗した写真のほうがまだましだ。というわけで写真は省略。
 そろそろ『鬼越えふれあい広場』へ戻らないと、もし天候が回復しても、陽が山にかかってしまう。板用橋を引き上げかけると、入れ違いに彼がやってきて、また会釈をしあう。彼は先ほど残って撮影していたはずだが、まだ未練があるようだ。他人のことは言えないけど。
 途中で1往復撮影して広場に到着。ここで千葉の撮り鉄やNHKのカメラマンと再会するような気がしていたのだが姿は見えない。結果的にいずれも車のウィンドウ越しに会釈をしあったのが別れの挨拶となってしまった。
 広場に着いたころから陽の光が戻り、山と空のコントラストが素晴らしい。
 そこへやってきた151列車、よしとシャッターボタンを押すと、手応えがない。あれ、おかしいな、何度もボタンを押すと、やっとカシャっとシャッターが下りる。しかし、完全にタイミングを逸し、機関車が半分トンネルに入ってしまった。
 なんだよ肝心なときに故障か、と電源を切ってバッテリーを抜き差ししてもう一度試してみるが、やはり何度かシャッターを押さないと下りない。で、ふと気づいた、もしやとシャッターの設定を確認すると、やはり2秒タイマーになっている。へなへなとその場にへたりそうな脱力感。そう簡単に設定が変わるはずないのに、いつの間にどうして?
 でも、露出補正を戻し忘れて、やたら明るい、あるいは暗い写真になってしまったり、そういうミスは日常茶飯事なのである。だからカメラのアンケートで答えにくい項目があるのだ。撮影歴を問われて40年と答えるところまではいいのだが、技量は上級者?中級者?初心者?という設問に手が止まる。40年の撮影歴で初心者というのもおかしいので、中級者と答えるのだが、どうも心苦しい。いつも繰り返すミスは、どう考えても初心者レベルなのである。
 それはさておき、今回の失敗を取り返すには、日頃市で交換してくる122列車がラストチャンスだ。今度はしっかりカメラをチェックして列車を待つ。しかし、すっと日が陰り、まさかと振り返ると、いつのまにか雲が出ている。「後生だから陽を出しておくれ」との願いが通じたのか、列車の来る直前にさっと周囲が明るくなる。奇跡的とも言える現象に、撮影を終えるなり、思わず天に向かって「ありがとう!」と叫んだのであった。


鬼越えふれあい広場から


 この日の最後は盛〜赤崎の盛川橋梁へ。赤崎へ向かう列車は西からやってくる。つまりバックは夕焼けのはずだったのだが、また天候が悪化してどんよりとした雲に覆われてしまっている。遠くのほうは少し雲が薄かったのか、写真右下だけ申し訳程度に赤くなっているのがかえってわびしい。
 三陸鉄道の項で触れたとおり、岩手開発鉄道と三陸鉄道の橋梁はすぐ近くにある。最後の最後に三陸鉄道の列車を撮影して締めくくったのであった。


日没後の盛川


<後日談>
 NHKでどのように紹介されるのか見たかっただが、ローカルニュースと聞いてあきらめていた。
 ところが、なんと全国ニュースでも取り上げられたそうだ。まったくノーマークで見逃してしまった。残念。

【2016年11月現地、2017年2月記】
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