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水島臨海鉄道
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 前ページまでの2003年9月の訪問記を、今(2008年)になって書いたのは、ローカル私鉄紀行のトップページを少しリニューアルして、地方別に分類してみたら、中国地方の私鉄をひとつも取り上げていなかったことに気づいたからである。
 それでも最後に訪れてから4年余り、キハ20はまだ元気に走っているのだろうか。やはり一度確かめなくてはいけない、と思うのは「鉄」の必然?である。
 で、2008年1月下旬の午後、ちょっと会社を早引けして水島臨海鉄道に向かったのであった。
 今回は新幹線ではなく、久しぶりに在来線を乗り継ぎ、倉敷に着いたのは15時過ぎ。
 その日降った雪が線路に思いのほか残っているのを見て、早速倉敷市駅近くの跨線橋の上から撮る。

MRT306とMRT305+302

雪合戦に興じる子供たち
 一旦ホテルにチェックインし、夕方のキハ20の出番が近づいた頃、一駅隣の球場前まで歩いてみる。
 途中、住宅街の外れの造成地で、子供たちが雪合戦に興じていた。
 もう17時をまわり、かなり暗くなっていたが、雪合戦ができるほどの雪が降ることは滅多にはあるまい。この機会を逃したら次はいつできるかわからないという思いに駆られてか、子供たちも引き上げる様子は全くなかった。

キハ208+204
 球場前駅の手前で17時23分発の上り第58列車を待ち受ける。ただ、せっかくのキハ20であったが、さすがに暗すぎてピントは外してしまうし、列車もぶれてしまった。
 この列車が倉敷市から折り返してくるのは17時45分。もはや撮影どころではないので、カメラはしまって水島まで往復乗車する。
 キハ20に乗り込むと、なつかしい匂い、と、その日の日記帳にも記したのだが、これって前ページの4年前と同じことを書いてないか?
 そう、そのときは4年前の日記帳のことはすっかり忘れて、全く同じフレーズを書いてしまったのである。
 その間、全く自分が進歩していないとも言えるが、キハ20が変わっていなかった証拠、ということにしておこう。

 夕方の帰宅時間ということで乗客も多く、しばらく立っていたが、終点も近い弥生で大勢下車して、1ボックスを確保。
 真っ暗な車窓ながら、時おり車内の灯りに照らされて、白く雪化粧した家並が流れるのを眺めていると、はるか昔に雪国を旅行したときの気分が蘇り、不思議な心地がする。
 もたれていた頭を何かの拍子に戻すと、バチッと髪の毛がサッシの枠に挟まり、思わず「痛っ」とつぶやく。
 それでも、「そうそう、よく髪の毛が引っかかったものだ」とそんなことさえ、懐かしく思えるのであった。


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