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錦川鉄道
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最終目的地/北河内へ

 534Dの頃合を見計らい、一旦少し南桑方面へ戻る。というのも、南桑〜椋野間の椋野寄りのカーブが、錦川に沿って最も南側に向くからだ。
 現地に着いてみると、目論んだとおり、燦々と太陽の光が降り注いでいる。やっとこれで堂々と陽の当たる列車が撮れる、と安心して列車を待っていると、背中に何か影を感じる。振り返るとそれはまさに山の『影』
日陰になってしまった534D
 冬の陽を甘く見ていた。14時過ぎだというのに、見る間に太陽の角度は低くなり、それにつれて山の影が加速度的に伸びる。「頼む、後生だからもう少し待ってくれ」という願いも虚しく、列車がやってくるころには完全に陰になってしまった。
 今度こそ大丈夫と思っていただけに、ショックは大きい。
 ああ、今日は一日中快晴だったのに、まともな写真は1枚もなしか・・・。
 がっくりした気分で、ほどなくやってきた531Dを、近くのガーダー橋で適当に撮る。
 写真は正直だ。パソコンで目一杯明るく補正したのに、冷めた心がそのまま表れたような寒々とした色合いになってしまった。

531D(南桑〜椋野間)

 最終目的地の北河内まで、まだ5キロはある。列車もまた2時間くらい来ないし、気力が萎える、本当に歩くのか。
 念のため国道のバス停の時刻表を確かめてみるが、やはり北河内へ向かうバスはない。なぜ北河内にこだわるのかは、あとで明らかにするとして、えいと腹を決めて歩き出す。
 途中、錦川沿いに鉄道が見渡せる場所があり、なかなか雄大な光景に足を止める。ただ、線路はほぼ東西に走り、南側にすぐ山が迫っているので、撮影という点では、夏の早朝でも厳しいかも知れない。

 陽が陰ると寒さが応えてくる。やっとの思いで北河内駅に着き、ここで交換する533Dと536Dを撮るため、岩国側にある高架へ向かう。
 ここは、事前に地図で築堤と踏んでいたのだが、往きの列車で高架と知り、驚いた場所である。
 ローカル私鉄ではあるが、さすが前身が1960年に開業した岩日線だけあって、近代的な構造だ。
 この場所を狙ったのは、山が少し切れているので、あわよくば夕陽に間に合うのでは、と一縷の望みもあったのだが、533Dは、前面窓に残照がちらっと反射したくらいであった。
 何より、高架の南側では、携帯電話のアンテナ基地を建設中で、どうにもアングルがとりにくくなっていたのも、予定外であった。
 同じ高架を536Dが走り去る後姿を後追いして、この日の撮影は終了。少々フラストレーションの溜まる撮影行であった。

533D(北河内付近)   536D(北河内付近)

 帰りは、北河内18時発錦帯橋行きの岩国市営バスと決めていた。というのも、荷物をホテルに預けていたので、錦帯橋に戻りたかったのだ。無理にここまで歩いてきたのも、そういう理由なのである。
 それでも、まだ1時間以上、待たなくてはいけない。いよいよ寒いので、何か暖かい飲み物が欲しいのだが、駅周辺にはお店どころか自動販売機すらない。
村重商店
 そういえば、事前にGoogle Mapで地図を検索したとき、対岸の国道に商店がいくつかあったような気がする。何の店かわからないが、ぼんやりベンチに座っているよりましだ、と行ってみる。
 果たして、国道には村重商店という酒屋があって、飲み物の自動販売機もよりどりみどり。
 やれやれ、と店に近づくと、ちょうど下校の女子中学生が自転車で通りかかり、「こんにちは」と声をかけてくれた。
 ほっとする一言であった。失敗撮影ばかりだった今日1日が、すべて報われたような気分になる。
 もちろん、こちらからも「こんにちは」と返す。そして、感謝の意も込めて「おつかれさん」と言葉を添えたのであった。


エピローグ/夜の錦帯橋

 バスで錦帯橋に着き、ホテルに荷物を引き取りに行く前に、錦帯橋そのものに寄ってみる。
 というのも、この時期、晩の9時まで錦帯橋がライトアップされているのである。実は、これもバスで帰ってきた理由のひとつなのである。
 ライトに照らし出された錦帯橋は、なるほど美しい。下から照らしているので、橋の裏側の複雑な造形がひときわ浮き立っている。
 でも、『感動』という点では、やっぱり朝の自然の光にはかなわないかな、と思うのであった。

夜の錦帯橋

【2008年12月現地、2009年2月記】

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