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近江鉄道2002〜04
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 初訪問から3日後の休日、再び近江鉄道を訪ねる。気に入ったら立て続けに出かける習性は以前から変わっていないが、そのときは何に駆り立てられたのか、今となってははっきり思い出せない。
 この日は水口松尾へ向かい、日野まで歩く。まずは途中の踏切で、貴生川行きの800系だ。元西武鉄道401系であるが、前面は全く別の顔に改造されて、今でも近江鉄道の主力車両である。


元西武鉄道401系の800系shadowshadow


 続いては単行運転が基本の220形。800系に似たスタイルではあるが、駆動方式は釣りかけ式で、なつかしい走行音を響かせて走っていた。今は現役を引退して、1両だけが構内入換用に残っているという。


釣りかけ式の220形shadowshadow


 日野〜水口松尾間は、沿線に田畑が広がり、撮影意欲を刺激される。気持ちのいい秋空の下、お決まりのススキを前景に。


日野〜水口松尾間にてshadowshadow


 日野の町に入ると、県道沿いの建物に掲げられた昔ながらのホーロー看板が目に入った。定番とも言える金鳥蚊取り線香に東芝やナショナルブランドの電気製品など、レトロな看板が並ぶ。さすが歴史のある町だと感激したものだが、今はどうだろう。ここは国土地理院ではなくグーグルのストリートビューをたどって、まったく同じ建物を発見。ただ、さすがに古いホーロー看板はすべて外されてしまっていた。


金鳥蚊取り線香 東芝/ナショナル


 それから約1年あまり後の2004年1月、休み明けに東京出張が入ったので、前日の日曜日にちょっと立ち寄ってみたことがある。このときは近江八幡から入り、八日市に着いてみると、なんと側線にED31の4号機が貨車2両を従えて停車しているではないか!!
 もう走ることはないと思っていただけに興奮して、「イベントですか!?」と機関士に声をかけても無視されてしまい、愛想ないなあ、なんて思ったら、どうも様子がおかしい。駅員に聞けば、水口駅で踏切事故があったそうだ。ということは、ED31は救援列車に違いない。脳天気な質問をしてしまった自分が恥ずかしい。
 しかし、すぐにそれは忘れて、撮り鉄の浅ましい欲望がむくむくと湧き上がる。救援列車なら、すぐに水口へ向かうはずだ、あわよくばED31の走行シーンを撮れるかも・・・。こうして、桜川〜朝日大塚間へ先回りして待ち構えていると、思惑どおりED31が、その無骨なスタイルとは裏腹に軽快な足取りで駆け抜けていったのであった。
 事故の救援列車を狙うというのも後ろめたいものがあったが、とにもかくにもこれが本線上を走るED31の最初で最後の撮影となったのである。


ED31牽引の救援列車shadowshadow


 ところで、お気づきかも知れないが、掲載した写真に風合いの異なるものが混在している。
 このころはまだフィルム一眼レフのキヤノンFT−bをメインで使っていて、サブとして初めて購入したデジタルカメラ、と言っても一眼ではなくいわゆるコンデジのIXY320を使っていた。IXY320は、その名のとおり320万画素しかなく、わざとらしい発色であった。実は彦根の車庫で佐和山をバックにした写真、水口松尾で撮った800系の写真などがそれだ。
 そして、最後のED31の救援列車は、それまで30年近く使ってきたFT−bを初めて買い替えた初代キスデジで撮ったものだ。余談ながら、ここからデジカメの画素数や性能がアップするたびに買い替える、デジタルカメラ地獄にはまっていくのである。

【2000年11月・2003年1月現地、2019年4月記】

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