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信楽高原鐵道
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 まるで空を飛んでいるみたいだ。
 神戸から車で信楽高原鐵道へ向かう道中、初めて新名神高速道路を利用したのだが、カーナビの地図は5年くらい前のままなので、昨年(2008年)開通した新名神は当然、載っていない。画面には山々だけが表示され、その上を一直線に突き進んだのである。
 実際、新名神自体が山の高いところを走っているので、まさに空を飛んでいるような爽快さであった。

慰霊碑
慰霊碑
 信楽インターを出ると、目の前が1991(平成3)年5月に、信楽高原鐵道の普通列車とJR直通の快速列車が正面衝突するという大惨事が起きた現場である。
 もう18年も前のことになるのだが、今でも衝突のニュースを聞いたときの衝撃は忘れられない。
 事故の原因について、部外者が軽々しく口にすべきではないが、JR西日本の信号機改修もさることながら、赤信号で信楽駅を発車させてしまったことが本当に悔やまれる。世界陶芸祭の観光客でごった返す中、列車の遅れは許されないというプレッシャーはあっただろう。でも、確認のために小野谷信号所へ職員を派遣していたというのだから、せめてその職員の一報が入るまで発車を見合わせていれば、衝突は避けられたのではないか。そう思うと、返す返すも残念でならない。
 その数年前に中国上海の列車衝突事故で、大勢の修学旅行生が亡くなるという痛ましい事故があり、そのときの「後進国だから」という風潮に、他人事ではないと危惧したのだが、これほどまで悲惨な形で現実のものとなってしまうとは。
 一鉄道ファンとして、鉄道事故ほど悲しい出来事はない。

 信楽高原鐵道へは、事故のショックがあまりに大きすぎて、なかなか訪れる気になれなかったのだが、避け続けてもしかたないと思い直して、今年のメーデー前日の午後、会社を早引けしてやってきたのであった。
 まずは衝突現場に立てられた慰霊碑に手を合わせる。刻まれた42名の亡くなった方々の名前には、同姓の方も見受けられる。ご夫婦、あるいは親子だろうか、楽しいはずの陶芸祭がこのような結果になるとは、さぞや無念であろう。
 冥福を祈るしかない。そして、鉄道撮影という言わば遊びで来ていることが、やはり不謹慎なような気がして、許しを請う。

 自分なりにみそぎというか、けじめをつけて、ここからは信楽高原鐵道を楽しもう。
 例によって撮影場所を探すため全線乗車しようと、終点の信楽へ車を走らせる。

駅前陶芸市の様子
 信楽駅の直前で、ガードマンが右折するように誘導している。怪訝に思いながらもそれに従うと、その先は広い空地を利用した臨時駐車場であった。
 車を置いて、駅前まで歩くと、なるほど駅前で陶器市が開かれていて、平日にも関わらず、かなりの人出だ。
 誘われるように会場へ入ってみると、ぐい飲みなどの小物から定番のたぬきの置物まで、様々な陶器が売られている。つい雰囲気に呑まれて、いくつか陶器を手にとってみるが、目移りしてしまい、決めきれない。こんなところは極めて優柔不断なのである。
 ほどほどに陶器市を切り上げ、本来の目的である信楽高原鐵道で、貴生川まで往復することにする。

信楽駅 待合室の展示
入口で大勢のたぬきの置物が出迎える信楽駅
待合室では、信楽高原鐵道の歴史と、1991年の衝突事故の記録や損傷した車両の一部が展示されていた。

 乗車した538Dは、信楽発15時55分と夕刻に近い時間とあって、陶器市帰りの観光客でほぼ満席で、扉付近に立つ。さらに下校の地元高校生がどんどん乗ってきて、かなり混雑してきた。高校生たちも、いつもと違う雰囲気にテンションが上がってしまったのか、大きな笑い声や奇声を発して大騒ぎだ。
 こんな光景は、ローカル線めぐりをしていれば、よしあしは別にして日常的なのだが、免疫のない観光客は、一体何事かと落ち着かず、ちょっと居心地が悪そうなのであった。

貴生川駅にて
 貴生川駅は、JRのホームと共用で、特に改札があるわけでもなく、JR乗換え用の簡易改札機が申し訳程度に立っているだけであった。
 復路の537Dは空いていたので、ボックスシートに腰掛け、のんびりとロケハンをする。

紫香楽宮跡の八重桜
紫香楽宮跡の八重桜。
帰りがけに寄ったのだが、少々アングルに無理が・・・。
 最初の停車駅の紫香楽宮跡(しがらきぐうし)までは、ほとんどが山の中で、駅間も9.6キロと非常に長い。全線でも14.7キロなのだから、1駅で2/3くらい走ってしまうことになる。その間、今は閉鎖された小野谷信号所、そして衝突現場を通過する。
 紫香楽宮跡駅は、第三セクター化の際に新設された簡易な駅だが、ちょうど駅前の広場(駐車場?)の八重桜が満開であった。帰りがけに車で寄ってみようとメモしておく。
 次の雲井駅は国鉄・JR時代からの駅。つまり、かつては貴生川から10キロ以上、駅がなかったことになる。古い駅だけあって、雰囲気もよさそうで、ここもホーム傍で八重桜が満開であった。これらも忘れずにメモする。

雲井駅の八重桜 雲井駅

上)どことなくメルヘンチックな雲井駅

左)ホームの八重桜




 雲井駅の次は勅旨駅。ここまで来ると視界が開け、いかにも田園地帯という風景が広がる。
 勅旨を発車すると、ちょうど駅を降りた女子高生を追い抜く形となった。この並び、絵になるかも、と相変わらず女子高生がらみは目ざとくメモ。
 その次は、もう終点ひとつ前の玉桂寺前駅。この駅も信楽高原鐵道となったときにできたもの。
 ここから再び山に入るが、すぐに信楽の町に抜けて、信楽駅へと戻ったのである。
 さすがに陶器市は終わっていて、臨時駐車場にはぽつりぽつりとしか車は残っていなかった。おもむろに車を出し、メモした雲井駅、紫香楽宮跡駅で八重桜を撮って引き上げる。神戸に?いや桑名に!


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