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名古屋鉄道 後編 1/2
徹明町で発車待ちのモ593
徹明町で発車待ちのモ593

 美濃町線の徹明町電停は、岐阜市内線とは交差点をはさんだ反対側にある。
 美濃町線は名義上、ここ徹明町から関までであるが、実際は新岐阜から各務原線、田神線を経由して美濃町線の競輪場前で合流して関方面に向かうルートがメインになっているようだ。ちなみに各務原線は、架線電圧が1500Vのため、日本で唯一、600Vと両方走れる複電圧方式の電車が走ることは本にも書いたとおりだ。
 一方、徹明町からの電車は、日野橋で折り返す運用が多く、この日、乗った電車も日野橋行きであった。
 土曜の午後、それもお祭りと重なったこともあって、モ590形の車内は結構混み合っていた。本来はワンマン運転なのだろうが、車掌さんが乗りこんで切符を切っている。
「今日はお客さんが多いデ、張合いがあるデね」
 忙しいのを楽しむかのような車掌さんの岐阜弁に思わず微笑む。

 競輪場前で、新岐阜からの電車を待ってしばらく時間調整。やってきたのは関行きのモ600形単行であった。そのモ600が先行して、すぐ後を日野橋行きが追いかける。路面電車が数珠繋ぎになるのは珍しい光景ではないが、美濃町線は単線なので、一定の区間(閉そく区間)内は、ひとつの電車しか走れないのが原則である。ところが美濃町線では、ふたつの電車をひとつにみなす、いわゆる続行運転という運行形態を取っているのだ。専用区間の多い美濃町線では、踏切で立て続けに電車が走ってくることになるので、初めての人はびっくりすることだろう。
 続行運転は、かつて江ノ電などでも見られたが、今は美濃町線くらいではないだろうか。考えてみれば、複電圧式といい、続行運転といい、美濃町線には珍しい運行形態が揃っている。

 途中の野一色で、車掌さんの「日野橋から先、新関方面は前の電車にお乗り換えください」との案内に促され、先行のモ600に乗り換える。もちろん、このあと日野橋まで続行運転は続行(^^;
下芥見にて1980年撮影
昔も今も、通票を交換する光景は変わらない。
(下芥見にて1980年撮影)

 結局、日野橋でモ590に追いつかれ、野一色で乗り換えなくても良かったのではと思うが、まあそういうルールなのだろう。
 日野橋を過ぎると、風景も一段とひなびてくる。下芥見、白金で新岐阜行きと交換。これまた今では珍しくなった通票の交換シーンを見られるのが嬉しい。
 次の交換駅である赤土坂では、左側に新岐阜行きが見えて、違和感を覚える。そう、反対の電車が左側に見えるということは、右側通行で交換なのだ。後日、ネット上で知り合った名鉄に詳しい人に尋ねてみると、
「確かに島式の駅は右側通行ですね」と言われ、初めて気がつく。右側通行に驚いて、ホームの形態をすっかり忘れていた。でも、なぜ島式だと右側通行になるのかはわからないとのことだった。

 赤土坂が最後の交換駅で、いよいよ終点も近い。1999年に新関〜美濃間6.3Kmが廃止され、長良川鉄道と接続するため、新関〜関間の300mだけが延伸された。ただ、関まで行く電車の本数は1/4程度であり、1時間に概ね1本と少なく、実質的な終点は、新関と言える。
 野一色で乗り換えた電車が、たまたま本数の少ない関行きだったわけだ。新関を出て、かなり急なカーブを切って、関駅に到着した。乗降客はほとんどなく、折り返しまでの間、運転士さんも車掌さんも何となく時間を持て余している風情だ。
 と、小学1〜2年生くらいの小さな男の子がひょっこり現れた。
「ボク、電車に乗るのかい?」運転士さんが尋ねる。
「ううん、見にきたの」男の子がかぶりを振る。
「発車までまだ時間があるから、乗ってもいいよ」
 そんなことを言われるとは男の子も思っていなかったのだろう。ちょっと戸惑ったような、でもせっかくの機会を逃すのはもったいないというような複雑な表情で、ステップをのぼっていった。そんな緊張した男の子の様子がいとおしい。自分が子どもの頃、初めてひとりで電車に乗ったときのことを思い出す。
 そんなノスタルジックな気分に浸ってしまうくらい、都会の喧騒とは別世界の時間が流れていた。もっとも、鉄道会社としてはそんなムードでは困るのであろうが。


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ホームが線路の間にあるのが島式(左図)
線路の両側にあるものは相対式(右図)

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