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東急 世田谷線

 東急世田谷線の現地取材は、駄菓子さんの担当だったので、私が行く必要はなかったのだが、せっかくだから東京出張の折り、ちょっとだけ立ち寄ってみた。
若林にて
車体更新前の70形が環七を渡る。
(1975年撮影)

 もともと私は東京出身なので、さすがに世田谷線は初めてではない。最も古い記憶は、京王井の頭線で渋谷まで行ったとき、右手に今の塗装と違う淡いグリーンの電車が見えた玉電時代までさかのぼる。余談だが、渋谷は、そんな玉電はいるし、地下鉄は上空を走っているし、子供心にも不思議な印象が残る駅であった。
 ただ、残念なことに玉電に乗ったという記憶はない。
 鉄道を意識して行ったのは、既に玉電はなく世田谷線のみとなっていた昭和50年(1975年)のことである。それから25年経過した今でも、車体更新されたものの旧型の70形や80形などが元気なのがうれしい。そのせいか、途中駅や沿線の雰囲気もあまり変わっていないように思える。

 さて、前夜、新玉川線の池尻大橋に宿を取り、翌朝、一駅隣の三軒茶屋で世田谷線に乗換えだ。新玉川線から結構距離があり、やたら広々とした通路を歩いて、中庭のような広場に出ると、その一角に世田谷線の三軒茶屋駅がある。このあたりの変貌は著しく、よく言えばしゃれた雰囲気なのだが、悪く言うと、少々バブリーな感も否めない。旧型車たちには申し訳ないが、ミスマッチな印象も受ける。ただ、世田谷線も近々新型の300形で統一されるそうだから、そんな印象も払拭されてしまうのだろう。
 そんなことを感じた三軒茶屋駅であるが、さすが東京都区内を走る世田谷線だけあって、朝は到着する電車から続々と通勤客が降り立っていた。

定期を見せる乗客
思い思いのスタイルで定期券を見せる。
(若林にて)
 いよいよ世田谷線に乗ろうと改札に向かうと、『世田谷線散策きっぷ』という一日乗車券の案内が目に入った。1枚300円。運賃は130円均一だから、3回乗れば元を取れる。迷わず購入して途中駅の様子をながめながら、一旦下高井戸まで行った。
 世田谷線は必ず2両編成で走る。運賃は先払いなので、乗車口は1両目が運転席のある一番前、2両目が車掌のいる一番後ろになる。1両に扉は3つあるのに乗車口が前後両端に限られてしまい、ラッシュ時には乗りきれない。
 このため、定期客は進入してくる電車の運転士や車掌に、水戸黄門の印籠のごとく、ぐいっとばかりに定期券を見せれば、他の扉からでも乗りこめるルールになっている。正式な規定かはわからないが、苦肉の策であろう。車内から見ていると、自分に向かって定期券を見せつけられているようで、ちょっと変な気分だ。

 下高井戸から適当に途中下車しながら若林まで戻った。途中気がついただけでも、上町、山下にはラッシュ時に臨時で改札の職員が出ているようで、このときばかりは印籠のシーンは見られないようだ。
 若林では環状7号線を遮断機なしの踏切で渡る。つまり道路の交差点と同じで、電車も交通信号に従うのである。全線専用軌道の世田谷線にあって、唯一路面電車の雰囲気が味わえる場所として有名だ。

 そんな様子を数枚写真に撮って、駅に戻ると、ちょうど三軒茶屋行きの電車が出たばかりで、環七の交差点の手前で信号待ちしているところだった。その後ろ姿を見ていると、どうも様子がおかしい。いつまでたっても発車する気配がないのだ。
遮断機を上げる車掌 連絡に大わらわ
遮断機を持ち上げる車掌
連絡に大わらわの職員
誘導する警官 走り出した電車
警官が車を止めて電車を誘導
警官の前を無事電車が通過

 おかげで、環七の直前の踏切も開かずのままとなり、車掌が遮断機を持ち上げて、人を通していたりする。これは環七で事故かと、駅からまた環七に向かい、おそるおそる交差点をのぞくと、「?」 別に異常はない。と思ったら、環七の信号機が故障して全て消えている。それで電車はもちろん、歩行者も渡れなくなっていたのだ。
 ほどなく警官がやってきて、交通整理を始めた。運転士がすかさず「電車、発車させてもいいですか」と尋ねている。合点承知とばかり、警官が環七の車を止め、無事電車が発車した。ほぼ同時に信号機も復旧して、何事もなかったように車と電車・歩行者が行き交い出した。
 結局、警官の誘導は1本だけ、時間にして10分くらいのハプニングであった。
 再び若林駅に戻り、三軒茶屋に帰る。車内では、しきりに「電車が遅れて申し訳ありません」とのアナウンスが流れていた。

【2000年1月現地、同年9月記】


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