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 『西武園とユネスコ村を結ぶおとぎ電車は、西武鉄道山口線というれっきとした地方鉄道である』
 こんな決り文句でガイドブックなどに紹介されていた山口線。
西武鉄道山口線 路線図
地図


 確かに時刻表にも山口線として掲載されていた。もっとも、おとぎ電車とのかっこ書きつきではあったが。
 1950年(昭和25年)にやはり遊戯施設として開業し、地方鉄道になったのは1952年(昭和27年)、西武遊園地〜ユネスコ村の3.6Kmを20分弱で結んでいた。全線単線で途中駅はないが、列車交換のため途中に信号所が2つあった。また、軌間が762mmというナローゲージであったことも有名である。
 ただ、残念なことに西武球場への輸送力増強ということで、1984年(昭和59年)廃止され、今はほぼ同じルートの新交通システムに転換されてしまった。

 西武遊園地のおとぎ電車などと言うと、現地をご存知ない方は賑やかなところなんだろうなと思うかも知れないが、周辺には水源地の村山貯水池(多摩湖)や山口貯水池(狭山湖)があり、広い公園になっていて、山口線の沿線も清閑な雰囲気であった。幼稚園や小学校低学年の遠足のメジャーコースにもなっていて、遊園地でわいわい遊ぶというより、広場でおべんと広げてのんびりと、というイメージである。
元井笠の1号機
元井笠鉄道でペアを組んでいた
1号機と客車が関東の地で走る。
(1975年4月撮影)


 西武園のおとぎ電車自体は地元では有名であったが、全国的にその名が広まったのは、何と言っても1972年(昭和47年)、鉄道100年を記念して、頸城(くびき)鉄道の蒸気機関車(翌年には井笠鉄道の機関車も)を復活運転させたことがきっかけだろう。
 頸城鉄道、井笠鉄道は、やはり軌間762mmの有名な軽便鉄道であったが、それぞれ前年の1971年に廃止され、蒸気機関車も廃車、保存されていたもので、今から思えば、西武鉄道も手間のかかる本物の蒸気機関車の導入をよく決めたものだと思う。くしくも国鉄で復活した蒸気機関車も同じ名前の山口線というのもおもしろい。
元台湾の527号機
1977年から走り出した527号機。
(1977年4月撮影)

 もともと鉄道施設自体も、信号機は腕木式だし、信号所ではしっかりタブレット交換をしており、そこにコッペルと木造客車というのは軽便鉄道を彷彿させるものはあった。
 ただ、いかんせん人気が高すぎ、休日ともなれば、鉄ちゃんと家族連れのにわかカメラマンがカメラの放列を敷いて、静かに軽便鉄道を偲ぶのはちょっと難しかったのが実態でもある。
 結局、老朽化ということで、これらの蒸気機関車の活躍した期間は短く、1977年(昭和52年)には元台湾の製糖会社の蒸気機関車527号と532号に交替してしまった。1号と2号はもともと借用していたとのことで、頸城鉄道、井笠鉄道に返還され、客車だけが残った。聞けば客車だけは購入したものだそうだ。
 台湾の機関車もまた同じコッペル製であったが、蒸気機関車音痴の私が見ても、失礼ながら形態的には1号、2号に比べて見劣りしてしまうのが少々残念であった。

 と、今回は延々とただの解説が続いてしまい、紀行文と謳った思い出話とは言えない内容になってしまった。
 国分寺に住んでいた頃は、西武園も近いので、遊びも含めると数え切れないほど行っているのであるが、かえってこれといった記憶が残っていないのも正直なところで・・・・・ と言い訳で締めくくることにする。

 【2000年4月記】





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