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フォーク


 ルマンのレースは24時間の長丁場だから、観客もずっと観戦しているわけではない。合間に食事をしたり、遊戯施設で遊んだり、年に一度の大イベントを心ゆくまで楽しんでいるのだ。
 映画では、そんなシーンも織り込まれていて、いいなあ、いつか行ってみたい、と思いながらも、実現はしていない。

 映画の食事のシーンでは、つまらないことだが、合点がいったことがある。
 デラニーが、右手にナイフ、左手にフォークと、セオリーの持ち方で一口分に切ったあと、右手のナイフをフォークに持ち替えて食べていたのだ。
 「やっぱり持ち替えていいんだ!」映画を観ながら、思わず膝をたたく。
 それまで、何で利き手ではない左手のフォークで、ぎくしゃくと食べなくてはいけないのか、ずっと疑問だったのだ。
 本来のマナーには反するのかも知れないが、マックイーンのおかげで、それ以来、堂々とフォークを右手に持ち替えるようになったのである。

 ところで、食事をするデラニーの目の前には、かの美しい女性リサが座っていた。
 デラニーが密かに思いを寄せるが、彼女はライバルであるフェラーリのドライバーの未亡人で、気安く近づける関係ではない。デラニーも最初は、彼女の前に座るのを、ためらったのである。
 その女性のことは強烈に印象に残っていた。その理由は、はっきりしている。端正な顔立ちと、近づきがたい存在に、あのマドンナを重ね合わせていたのだ。
 小学校3年からずっと同じクラスで、同じ中学校に進学したのに、ついに中学3年間は、一緒のクラスにはなれなかった。毎年、クラス替えが発表されるたびに、がっかりしたものだ。おかげで、普段はまさに村下孝蔵の世界そのもの、休み時間に校庭で遊ぶマドンナの姿を追うだけであった。
 そんな淡い夢を見られたのも、義務教育の中学まで。同じ高校に進学したくとも、才色兼備+優しいマドンナの進学先は、もちろん地域トップの高校。私の成績では、もう手が届かなかったのである。
 え?はなから手は届いていなかったじゃないかって?
 う〜ん、そのとおりだ。
 あっ!そうだ、運動会のフォークダンスで手を握ったことがある!・・・けど、それじゃ届いたとは言わない?・・・よね。

 硬派のマックイーンの映画が、いつのまにか軟弱な話になってしまった。
 言い訳だけど、それくらい『栄光のルマン』には、マックイーンのかっこよさだけでなく、M君やマドンナなど、中学時代の思い出がいっぱい詰まっているのである。

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