IE4.0あるいはNN4.0以上でご覧の方で、  
このページに入られた方はこちらへどうぞ。

従妹


 性懲りもなく、従姉妹の話を続ける。
 旅の日記帳とスタンプ帳を兼ねた無地の大学ノート。
 高校鉄研の豊肥本線合宿で、撮り鉄デビューと同時にスタートした記念すべきその1冊目には、駅での取材記録などと一緒に、幼い従妹の似顔絵が描いてある。
 何度も描き直した痕が残っていて、かなり真剣に描いたはずなのだが、ノートの片隅には、本人から「全然似てないって言われた」との情けない走り書きが。
 同じノートには、かわりに彼女が描いてくれた私の全身像も残っている。これがなんとなく似ているのだから参った。
 そのほかに彼女が描いてくれた絵で、もっとも気に入っているのが、これ。

おてんとさま

 小学校に上がって覚えたばかりのひらがなで、「くも」「ばす」と誇らしげに書き込んでいるのがいじらしい。
 その中でも、「おてんとさま」という言葉がいい。
「おてんとさま(お天道様)」と聞いただけで、自然に背筋がしゃんと伸びる。
 最近、とんと聞かなくなってしまったが、失いたくない日本語(いや、やまと言葉というべきか)だ。
「おてんとさまに顔向けできない」
「おてんとさまが見ている」
 という言い回しから、日本人ならではの「恥」の文化と言われるかも知れないが、他人が見ているか否かに関わらず、自分自身を省みる姿勢に、深い矜持を感じる。
 さらに自然の恵みに感謝する、もっと言うと、自然にはあがなえないという畏敬の念も表しているように思う。
 まさに日本人の精神の源とも言える言葉ではないだろうか。

 「おてんとさま」に照らされて、思わず熱くなってしまった。話を従妹のことに戻そう。
 幼い従妹はいつもにこにこ、かわいい盛りであった。一緒に駆け回って遊んでは、「あらあら汗だく」と叔母が従妹の汗を拭っていた姿が、昨日のことのように思い出される。
 文字どおり姉のように慕った従姉も、妹のようにかわいがった従妹も、ずいぶん前に嫁いだが、10年ほど前、九州に行った際、親戚の家に顔を出すと、たまたま従妹が里帰りしていた。
 あんなに小さかった従妹が、赤ん坊をあやしている姿に時の移ろいを痛感し、めまいすら覚えるほどであった。
 「ずいぶんと遊んでもろうたのを覚えとろうが」(相変わらず博多弁がいい加減なのはご容赦)と叔母が従妹に言うと、「覚えとうとよ」
 それは、甘木駅に見送りに行ったとき、私が列車の扉に腕を挟まれたことだそうだ。
 えっ?そんなことあったっけ。当の本人もすっかり忘れてしまっている。というか、そんなことしか覚えてないの、といささか肩すかしを食った気分にもなるが、私自身、やはり妙なことをよく覚えていたりする。誰しも、ちょっとしたアクシデントのほうが記憶に残るのかもしれない。
 どんな形であれ思い出であることに違いない。従妹が覚えていてくれただけでも、ありがたいと思わなくちゃ。


従姉と従妹


【2011年6月記】


戻 る