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相合傘


「天気予報で雨だって、聞かなかったの?」と傘を差し出して、
「ううん、聞いてたけど、忘れちゃって」と自然にひとつの傘に入る。

 雨の国立駅を降りて家路につくと、前を若い女の子が濡れながら歩いている。
 思わずクサい台詞をはいて傘を差し出してしまった。
 もちろん最近のことではない。今そんなことをしたら、「キモイおやじ」と蔑まれるのが落ちだ。それくらいの自覚はある。
 これは、もう30年くらい前の学生時代のこと。それでもネクラ気質の自分が、なぜ見ず知らずの女の子に傘を差し出すことができたのか、今でも不思議だ。

 話をするうち、彼女が同じ中学の同級生だったことがわかった。
「でもごめん、見かけた覚えがないんだけど」
「うん、3年のときに転校してきたから」
「ああそれでか。で、何組だったの?」
「××組」
「××組っていったら、K先生だよね。合わなかったんじゃない?」
 彼女の雰囲気から直感でそう思う。
「そうそう、いつも精神論ばかりで、嫌だったわ」

 彼女の家まで、少し遠回りして送る。
 それで、終わりである。
 名前も家もわかったのに、また会う約束などもしない。よく言えば?さっぱりしているが、深入りするのを逃げただけとも言える。そのへんがやっぱりネクラらしい。
 前回の「余談」に久しぶりに国立に帰ったことやクラスメイトのことを書いているうちに思い出したささやかな出来事であった。

 そして、連想ゲームのように思い出したことがあるので続けよう。やっぱり女性のこと。
 それにしても、この「余談」、女性のことばかり書いているような気がする。インジケータに鉄道だけでなく、女性というカテゴリーも加えなくちゃいけないかな。

 もう6〜7年前に出産のため退職してしまったが、ちょうど私より一回り若い女性社員がいた。彼女とは不思議に気が合って、社内ではあらぬ噂も流れていたかも知れない。
 もちろん、ここに堂々と書くくらいだから、そんなことはなかったのだが、そもそもその子は一人では喫茶店にも入れないと言っていたくらいのおぼこい感じである。
 お互い、変な関係にはならないとわかっていたから、自然に付き合えたように思える。
 もしかしたら、国立駅から一緒に帰った彼女にも、そして彼女自身も、同じ匂いを感じたのかも知れない。妙なことにはならない、お互いそう感じたから、素直に相合傘になったのだろう。

 数年前、母親になったその女性社員が、幼いお嬢ちゃんのMちゃんを連れて会社に顔を出してくれたことがある。
 「さあ、お手々つなごうか」とMちゃんの手を引いてあげると、母親が「あら、この子ったら、手つないでる!」と驚いている。
 「手をつないで何かおかしい?」と尋ねると、Mちゃんはちょうど人見知りの激しい時期で、父親以外の男性とは、実のおじいちゃんでも手をつないでくれないという。
 「じゃあ、俺が手を引いてる姿はおじいちゃんには見せられないね」なんてちょっと悦に入っていたものである。
 先日、その女性社員が神戸に寄るついでにと、Mちゃんらと一緒に昼食を共にする機会があった。もう小学生になったMちゃんは、数年前に会ったことなど覚えているはずもないが、私の隣がいいと母親から離れて横に座った。
 相変わらず懐いてくれるのか、と嬉しがっていたのだが・・・。

 冷静に考えてみたら、幼い女の子でも本能的に危険がないと感じさせる、つまり男として見られていないのではないか。母娘と仲良くできるのも、30年前相合傘になったのも、男を感じなかったからなのか。
 今回の「余談」は、ちょっと自慢話風に仕立てるつもりだったのだが、複雑な心境になってしまうのであった。

【2007年8月記】


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