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寝台特急 あけぼの
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 一方、「乗り鉄」で、もっとも印象に残っているのは、2003年に弘前から上り『あけぼの』に乗車したときのこと。内田百關謳カにならって、もっともグレードの高いA個室寝台、すなわち「シングルデラックス」を奢ったのであった。
 このときは、「ローカル私鉄なるほど雑学」の最後の取材で津軽鉄道のストーブ列車を訪問した帰り。もう校正の原稿も手元に届き、移動中に読むために持ち歩いていた。それくらい編集も大詰めというか、切羽詰っていたのである。

越後湯沢に臨時停車
越後湯沢に臨時停車
 翌朝、ふと目が覚めて外の様子をうかがうと、半端じゃない雪の量。しばらくして石打に臨時停車。ここで初めて2時間40分遅れとのアナウンスが入った。そして6時半ごろ越後湯沢に到着。
 「ただ今、越後湯沢です。この先、大雪のため運転できない状況です。大宮・上野方面へお急ぎのお客様は、恐れ入りますが新幹線にお乗り換えいただきますようお願いします」とのアナウンス。
 しかし、それには従わず、車内に残る。その日は、翌朝の鹿島鉄道の暖房機取材のため石岡へ行き、ホテルに早めに入って校正の続きをする予定であった。つまり、校正なら停車中の車内でもできるので、あわてる必要はないのだ。本当なら今ごろは上野に着いて、下車しなくてはいけないはずが、A個室寝台に長居ができて、不謹慎ながらラッキーとさえ思う。
 ちょっと様子を見に通路へ出てみると、「まだ乗っていたいよ〜」とぐずる3歳くらいの女の子が、「何言ってんの!このままだと東京にいつ着けるかわからないのよ!」とお母さんに急き立てられて下車していく。
 そうだよね。まだ乗っていたいよね。俺は残るぜ、いいだろう〜
 相変わらず精神年齢は幼児以下である。

A個室寝台
A個室寝台を解体した座席にさりげなく置かれた原稿。
「う〜ん、しびれる」と陶酔して撮影。
 部屋に戻って、原稿を読んでいると、
 ドンドンドンドンドン・・・
 「お客さん!お客さん!」車掌が激しくドアをたたく。
 何事かとドアをあけると、
 「越後湯沢を発車しても、どこまで進めるかわかりません。今のうちに新幹線に乗り換えてください」
 「いや、あわてて東京へ行っても、どうせホテルに缶詰だからね、車内で缶詰になるよ」
 座席に広げた原稿を指さして答える。もういっぱしの「物書き」気取りだ。完全に自分に酔っていた。
 車掌は複雑な顔をして、引き下がったのであった。

 しばらくして越後湯沢を出発し、途中停車を繰り返しながら8時すぎになんとか越後中里までたどり着く。車掌によると、機関車が空転して、越後中里に着くのもやっとだったそうで、この先の運転は見通しが立たないと言う。
 発車の気配もないまま2時間が経過し10時近い。さすがに腹が減ってきたので、「まだ発車しませんよね。食べ物を買いに行きたいんですが」と車掌に申し出る。
 「あ、食料ですね。ちょっと待ってください」と、車掌が無線で越後中里駅に問い合わせてくれた。それによると駅前に一軒店があるという。
 「じゃ行きましょう」と車掌に促されるが、これ以上手を煩わすのは申し訳ないので「ひとりで行けますから大丈夫です」と答えると、
 「いや、こっちも何も食べてないから」と言う。そりゃそうだと思った瞬間、はっと気がつく。
 「それじゃ、ほかのお客さんの分も買ってきましょう」
 「お客さんは、もうあなた一人です!」
 あらら、みんなせっかち。「そうじゃないだろ!おまえがぐずぐずしすぎ!!」という声が、どこからか聞こえる。
 車掌2人と私の3人で跨線橋を渡り、改札に向かう。線路越しに、牽引機EF81の雪下ろしをする機関士を見つけた車掌が叫ぶ。
 「お〜い!買い物に行って来っから〜」
 「この非常時に呑気に買い物?」そんな感じで機関士がきょとんとしている。
 駅前の店はすぐに見つかったが、食べ物は菓子パンくらいしか置いていない。本当はカップラーメンのような暖かいものが欲しかったのだが、しかたない。
 「今年は雪不足でスキー客が少なくて困ってたんだけど、何もいきなりこんなに降らなくてもねぇ。かえってお客さんが来れないじゃない」とぼやくおかみさんに見送られて列車に戻る。
 食事も済ませて再び原稿に目を通していると、10時半ごろ、「まもなく発車します。次の停車駅は高崎です」とアナウンス。たった一人の客に放送とは、申し訳ない気分。
 列車が進むにつれ雪は徐々に減り、さすがにこの先、足止めされることはなさそうだ。

越後中里に停車中 2人の車掌と買い出し
越後中里に停車中の「あけぼの」
買い出しを終え、2人の車掌に先導されて列車に戻る。


金沢行き「北陸」も立ち往生
途中の水上では金沢行き寝台特急『北陸』が立ち往生。
既に午前11時。事態は『あけぼの』より深刻だ。果たして『北陸』はその後どうなったのであろうか。
 ドンドンドンドンドン・・・
 またドアを激しくたたく音。
 ドアを開けると、そこにはしたり顔の車掌が。う〜ん、いやな予感。
 「なんでしょう?」
 「お客さん、まことに申し訳ありませんが、この列車は高崎で運転打切りとなりましたので、下車の準備をお願いします」
 やられた!
 運転打切りと言ったって、どうせ尾久まで回送するんじゃないのと口にしかけて、「こらっ!超過勤務で疲れている車掌に、いつまで迷惑をかけるつもりだ!!」という声がまた聞こえる。確かに潮時だと潔く(居座り続けて潔いもないが)やっかい払いされることにして、ちょうど12時に高崎で下車。遅れは7時間近くになっていた。
 予定外の高崎。今さら新幹線で上野に出るのも能がないので、高崎から両毛線・水戸線経由で石岡へ向かったのであった。

 車掌に迷惑をかけたことが一番の思い出というのも情けない話であるが、不定期で走るとはいえ、『あけぼの』はB寝台のモノクラスとなってしまったので、二度とA個室寝台に乗ることはできない。
 そのかわりJR東日本や西日本では、JR九州の『ななつ星』に刺激されて、豪華寝台列車を計画中だという。おそらく『ななつ星』と同様に何十億円もかけて新製するのだろう。ただ、個人的には、その1/10の費用でいいから寝台車をリニューアルして、いつでも乗ることのできる列車として走り続けて欲しかったと思っている。

【2014年6月記】

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