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タイトル
 ロマンスカー編2/3


ロマンスカーに乗った!
 念願の3100系ロマンスカー初乗車は、前頁に書いたとおり1967年、小学校3年生の夏休みであった。
 そのときの特急券は、大事な宝物としてずっとしまってある。座席番号は1号車110・113・114、つまり先頭車両であるが、最前列ではなかった。
 夏休みの多客期に、先頭車両の座席を取るだけでも大変だったろうと、今でこそ親の苦労がしのばれるが、当時は一番前に座れないことを恨めしく思っていたものである。
 結局、ロマンスカー初乗車の一番強い思い出が、その恨めしさという情けないものなのであった。

特急券
左が子供のときからずっと宝物として保存していた1967年乗車時の特急券。
右が1978年乗車時のもの。座席番号101、つまり最前列である。


 情けないで思い出したのが、ずっと時代は下って、1978年(昭和53年)のこと。
 この年、大学の鉄道研究会の年間テーマが小田急だったので、何度か小田急には出かける機会があった。これまでページで、この年の撮影の写真が多いのも、そのためだ。
 で、その年の6月、鉄研メンバー全員で相模大野の工場見学をさせてもらうことになった。確か午後に現地集合だったはずで、私は直行するのもつまらないと、一旦、ロマンスカーで箱根まで行き、昼食をとって相模大野に戻ることにした。それも、せっかくなら女子部員を誘って、文字どおり『ロマンス』カーを目論んだのである。
 同じメンバーだった人間が言うのも何だが、鉄研の女子部員たちは、よそのクラブの人から「なんで、あんなかわいい子が鉄研なんかにいるんだ」と言われるくらいの粒ぞろいであった。(ちょっと誉めすぎ?)
 さすがにそんな女の子と2人きりというのは気まずかろうと、同期のS君ともうひとり女の子を誘って、4人で行くことにした。
 早速、新宿駅の小田急の窓口に赴き、適当な時間のロマンスカー、それも先頭車の最前列横1列、つまり座席番号101〜104を押さえる。さらに箱根ではどこで食事をとるのがいいか、ガイドブックで目星をつける・・・こういう時の段取りだけは手際いいことに、我ながら感心する。
 そして、S君に趣旨を告げると、予想どおりというか、当然というか「行く行く」と2つ返事でOK。
 さあ、いよいよ本命の女の子たちだ。
「今度の相模大野に見学会、ロマンスカーで行かない?」
「何時に出るの?」
「新宿発9時半なんだけど」
「朝早いから行かない」
 せっかくの段取りは一瞬にして水泡に帰してしまった。考えてみれば、さすがに鉄ちゃんではない女の子たちにとって、お付き合いの工場見学なのに、朝から駆り出されたのではたまらない、という思いもあったのだろう。
 いやいや、単に私に男の魅力がないからだろうって?・・・そういうことは考えないことにしている。
 さて、そうなると手元の101〜104の指定券、潔く?すべてキャンセルしようかとは思ったものの、たとえ女の子には振られても、鉄ちゃん根性は廃れない。気持ちは腐っても鉄ちゃんである。せっかくの先頭座席だから乗っていこう、と2枚だけキャンセルし、101と102を手元に残したのであった。
 ただ、S君には振られたと言うのもみっともなくて、言い出せないままであった。
 当日、ロマンスカーの展望車でS君が叫んだ。
「おい、女の子はどうしたんだ!」
「都合が悪いってさ」
「なんだよ、そりゃ」
「しょーがねえだろ、来ねえってんだから!」
 情けない喧嘩である。
 こうして、先頭のロマンスシートに男二人が憮然と並んで座っている、これまた情けない様相の『第9はこね』号は一路箱根に向かったのであった。
 多摩川を渡る直前、左手に以前住んでいた共同住宅が見える。
「ほら、あそこが僕の生まれたところなんだよ」
 シナリオでは、隣に座る女の子にそう話しかけることになっていた。現実は隣に座るのは、むくつけきS君である。話しかける気力もわかないまま、ロマンスカーは生まれ故郷を過ぎて多摩川を渡っていく。ガン・ガン・ガンと鉄橋を渡る独特の音だけが響いていた。

3100系NSE車
一面のすすきの中を走る3100系NSE車。
1978年撮影。場所は失念。





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