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神戸電鉄

その1 粟生線の橋梁 地図(Google Map)を表示
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E地点「池尻橋梁」・F地点「広島川溝橋」

 最後は、市場駅のすぐ手前の「池尻橋梁」と「広瀬川溝橋」という小さな橋だ。


池尻橋梁shadowshadow

池尻橋梁



広島川溝橋shadowshadow

広島川溝橋


 それぞれ道路を挟んだ両側にあり、さすがにこんな小さな橋では銘板はないかな、とのぞいてみたら、どっこいどちらにもしっかり付いている。
 池尻橋梁の銘板は、○田機械製造所とあり、肝心の頭文字がつぶれて、社名が判然としない。最初は「榎田」かな?でも、そんなメーカー知らないなあ、と思ったのであるが、「あ、榎じゃない、桜の旧字体の櫻だ」と気づく。今はサクラダとカタカナ表記となった橋梁専門メーカーだ。
 その会社には、たまたま仕事で知り合った人がいるので、写真を送ろうと思ったものの、会社のメールに趣味の写真を送っては不謹慎だと控えたのであった。


桜田機械製造所の銘板shadowshadow


京     東
社會式株
所造製械機田櫻
作製年二和昭


 もうひとつの広島川溝橋は、ちょっと無骨なスタイルに、東京石川島播磨造船所との銘板がある。今のIHIだ。
 これらの橋梁は、小さいだけに、かえって改造されず、銘板も残ったのかも知れない。いずれにしても製造年は開業のはるか前で、こんな小さな橋梁も、よそから買い付けてきたわけだ。


東京石川島造船所の銘板shadowshadow


社會式株
所船造島川石京東
造  製
年 十 正 大


 これでいったん探索は終了して、帰宅。
 それから1ヶ月あまり後のことであった。新聞に「サクラダ破産」の見出しを見つけて呆然。会社更生や再生手続きではなく、一足飛びに破産とは。ほどなく会社は清算され、サクラダという社名は、瞬く間に消えてしまった。関係はないはずなのに、銘板を見つけた矢先に破産という結末を迎えことが、心に引っかかる。サクラダの知り合いは、とても人当たりのいい方だった。今どうしているのだろう・・・。

 調査の出鼻をくじかれた感はあるが、とにかく橋のことを調べようと、図書館で神戸電鉄の社史を紐解いてみたが、さすがに橋梁の出所までは書かれていない。
 それなら直接職員に尋ねてみようと、神戸電鉄のイベント(トレインフェスティバル)にも出かけて声をかけてみるが、詳しいことはわからず。
 これはいよいよ正式に神戸電鉄に調査を申し入れるしかないと思ったものの、逡巡してしまう。高校や大学の鉄研時代ならいざ知らず、50代半ばのおっさんの趣味の問い合わせでは気が引けたのである。
 しかし、じっとしていても埒が明かない。2年近く経った今年8月、ようやく重い腰を上げて、神戸電鉄に申し入れたところ、快諾していただき、いそいそと鈴蘭台の事務所を訪ねたのであった。
 応対していただいた職員の方も、事前に現地を見てきたそうで、「本当に古い銘板がついてますね」と興味を持たれた様子。だた、残念ながら記録上は、すべて「官給品」とあるだけで、どこから移設したかはわかわないとのこと。確かに見せてもらった図面にも、すべてそのように書かれている。譲り受けたときに、改造もしたはずなので、書き直して、古い図面は処分してしまったのかも知れない。
 数年前なら、当時、実際に橋梁を手配したOBとコンタクトできたそうだが、今は難しいという。調査が遅すぎたか・・・。
 かように現時点では、製造メーカーの一部が分かった程度で、どこから移設したかは全く不明だ。神戸電鉄には、小野〜市場以外の区間にも、古い橋梁が見受けられる。これら橋梁の由来の手がかりは少ないが、これからも調べていくつもりだ。

【2014年12月記】

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