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タイトル 食堂車マーク
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 今年(2000年)3月上旬のこと、東京出張の新幹線車中で、お茶を買おうと車内販売のワゴン車を呼びとめると、『さよなら食堂車』という文字が目に入った。ああ、そう言えば今度の改正で新幹線の食堂車もなくなり、昼間の特急からすべて食堂車は消えてしまうんだったな、と改めて思ったのであった。
「さよなら食堂車って書いてあるの、何ですか?」
と売り子に尋ねると、書類を挟むクリアフォルダーで3枚入り600円だと言う。思わず買ってみると、0系と100系の食堂車内の写真が2種ずつ刷り込まれている。その写真を見ながら、そうだ、今度のテーマは食堂車にしようと思い立ったのであった。

 食堂車の最も古い記憶は、1960年代、九州出身である両親が帰省に使ったブルートレインである。おそらく『あさかぜ』だったとは思うが、当時小学生だった私の記憶では頼りない。夕食は何だったか、いや夕食自体、食堂車でとったのかも思い出せないが、朝食は食堂車だった覚えはある。コーンフレークを食べた記憶があるが、そんなメニューがあったのだろうか、別の記憶とごっちゃになっているかも知れない。
 当時のブルートレインは新鋭の20系で、その洗練されたデザインは子供心にも深く印象に残り、爾来、私の好きな客車のひとつとなった。夜が明けて九州に入り、窓から前方を望むと、蒸気機関車が牽引する姿が見えて驚いたのも、今は思い出である。
 以下、自らの意思、すなわち鉄ちゃんになってから乗った食堂車の中から、印象に残っているものを2〜3挙げてみた。

1978年3月 特急『まつかぜ2号』 キシ80−19
まつかぜ2号
まつかぜ2号(米子駅にて)


 軌道めぐりで大学の先輩と大嶺炭鉱跡に行ったことは以前書いたが、その翌日、鈍行列車で長門市まで出て、『まつかぜ』に乗ったのであった。貧乏旅行なのに周遊券も使えない特急に乗った事情は省こう。
 その日は日曜日だったが、隣の席にはよそ行きの装いのOL風の女性が座っていた。旅先で若い女性と話す機会などほとんどないのに、その時は何がきっかけか忘れたが、結構話がはずんだ。
「日曜日なのに仕事なんですか?」
「そうよ」
「何の仕事?」
「ヒ・ミ・ツ、ウフフ・・・」
 意味深な笑みに、当時、一応うぶなティーンエージャーだった私はクラクラッという感であった。まあ、お姉様に体よくあしらわれた風でもあるが。
 昼は食堂車で食べると話すと、「だめよ、そんな無駄遣いしちゃ」とたしなめられてしまった。昼間特急で食堂車がついているのは貴重なんだから、と鉄ちゃん根性を説明するのは、さすがに控えた。
 そんなお姉様も東萩で降りてしまい、結局30分くらいしか話ができなかったのが少々残念であった。
 一人になった私は、お姉様の言葉がちょっと頭をよぎったが、予定どおり食堂車に行き、海側に席をとった。山陰本線の益田〜浜田間は車窓からの日本海の眺めがよく、海を眺めつつ食事をとると、ゆったりと優雅な気分になる。
 隣のテーブルから「あー泳ぎたい」という声が聞こえてくる。その日の日本海はそれくらい穏やかで美しかった。



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