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タイトル


E地点
この写真だけ現役時代で、遠くに実はDD13が見えている。寄り目のヘッドライトみたいなのは、見張り番のヘルメット。
(前回の写真はこれの連続写真。ということで現役時代の写真はほとんど撮れていない)
今回歩いてみて、遠くが見通せないと思ったが、植樹された木の成長と、現役時代は築堤というほどの高さはなかったが、 遊歩道にする際、おそらく路盤を削ってしまったからだろう。

地図

1976年撮影 1999年撮影


F地点
E地点とほぼ同位置で、反対側から。
廃線直後の写真は、荒涼とした風景に思わずシャッターを切った覚えがある。
一直線に伸びた線路跡の右側の建物は小学校。現在は木々の合間からちらっと見える。
線路を横切る小道側に向いていた『とまれ』の標識は、今は形と向きを90度変え、こちらに止まるよう呼びかける。

1976年撮影 1999年撮影


G地点
立川行きのバスが通る踏切付近にて。
昔の写真と同様に立川バスが通るのを待ったが、先に西武バスが来てしまった。
この遊歩道、通行する人も多く、手入れも行き届いていると思ったら、近所の人だろうか、 ゴミを拾っては写真にあるゴミ箱に捨てている人もいて、地元にも愛されている遊歩道なのだろう。

1976年撮影 1999年撮影


H地点
芋窪街道を横切り(砂川踏切)、立飛企業構内へ。ここが終点。
今しも踏切を渡らんとする軽自動車のような車は、ホンダの初代シビック?
構内の桜も成長して今はトンネルのようになっている。
ここを走るDD13は絵になったろうなあ、とは思うまい・・・・・

1976年撮影 1999年撮影


この後、鉄道総研へ行くため、ちょっと歩いて立川バスの国立駅行に乗る。
このバスは実家の近くを通るので、東京在住時は良く乗ったものだ。
バスに乗る際、思わず『J325』という車体番号に目が行き、
ああ、この路線は上水営業所の管轄で、Jは『上水』の頭文字だったなあと
思い巡らし、この歳になっても鉄癖が抜けない自分に苦笑い。
ぼんやり車窓を眺めていると、「神戸行き」というアナウンスにどきっとする。
山陽電鉄と共同運航している立川〜舞子(神戸)間の夜行バスの宣伝であった。
共同運航を始めた頃、神戸の職場で「立川ってどこ?」と聞かれた覚えがあるが、
おそらく双方の住人がお互い立川って?舞子って?と思うことだろう。
利用者はどれくらいいるのだろう、なんて考えているうちに国立駅に着いた。



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