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別府鉄道路線図
地図


 カミさんが子供を連れて実家に帰った。
 いや、別に夫婦喧嘩をしたわけではない。
 子供の夏休みに合わせて数日実家に帰って、お互いしばらく羽を伸ばすというのが、ここ数年の恒例なのだ。

 で、夏休み最初の土曜日、一人気ままに別府鉄道の廃線跡へ行ってみた。それにしても、カミさんのいない間に、若い娘と温泉旅行というなら羽を伸ばすと言うのだろうが、廃線跡とは色気のない話ではある。
 別府鉄道の廃線跡は、もともと特集2の思い出話に別府鉄道をアップしたのを伏線に、レポートしようと思い、夏休み前の土日に子供達に一緒に行くか?と訪ねると、一言「行かない」

 だいだい、小さい頃からプラレールや、あのブロックのレゴも汽車セットを買い与え、着々と鉄ちゃんに育て上げるはずだったのに、ミニ四駆やポケモンに走ってしまい鉄道は見向きもしない。本当に親の心子知らずである。 もったいないので親の私が組み立てては遊ばせていたのだが、プラレールのレイアウトを考えるのもパズルのようで、実は結構はまっていたのは否定できない。
 ということで、別府鉄道跡には何となく行きそびれていた。

 前振りが長くなった。本題の別府鉄道廃線跡、これはあの宮脇俊三編著の『鉄道廃線跡を歩く』の第4巻に詳しい。そこで、同書を参考に歩くことにする。
 別府鉄道について、簡単におさらいしておくと、開業は1921年(大正10年)、土山線(別府港〜土山間4.0Km)と野口線(別府港〜野口間3.6Km)の2路線を持つローカル私鉄であったが、1984年(昭和59年)1月、廃止された。


A地点(別府港駅跡周辺)
 

【A地点 別府港駅跡】
『鉄道廃線跡を歩く』とほぼ同じアングル。


 車で別府へ向かい、イトーヨーカドーの広大な駐車場に停めさせてもらう。実はここへ来る前に別の廃線跡(後日紹介予定)をまわったので、時刻はもう夕方4時過ぎであった。
 駐車場から近くの別府港駅跡まで行き、そこからまず土山線をたどる。『鉄道廃線跡を歩く』とは逆のルートだ。

 別府港駅跡に立ってみると、かすかな記憶が蘇った。同書にも紹介された写真の右側の空地に駅舎が建っていたように思う。
 ここから数百m北上すると、土山線、野口線の分岐点だが、同書にあるとおり、駐車場と化していた。


B地点(山陽電鉄との立体交差)
 

【B地点 山陽電鉄との立体交差】
別府港側から土山方を望む。


 山陽電鉄のガード下をくぐる。こんなに狭いところを列車が通っていたのかと改めて思う。


C地点(中野駅跡)
 

【C地点 中野駅跡】
オーバークロスしているのは
国道250号線バイパス、通称明姫幹線。


 おそらく写真中央左の白い建物のあたりが中野駅跡と思うが、確証はない。
 ここからF地点の大中遺跡まで、幅の広い2車線の道路が一直線に続いている。 もちろん拡幅したのだろうが、よけい鉄道跡とは思えない雰囲気になってしまっている。


D地点(倉庫に転用された貨車)
 

【D地点 倉庫に転用された貨車】


 『鉄道廃線跡を歩く』にも紹介された倉庫に転用された貨車が残っている。


E地点(川崎車両工場前跡)

 別に『鉄道廃線跡を歩く』の粗をさがすつもりではない。ただ、中野と土山の間にあった川崎車両工場前という駅は何も触れられていない。私自身も偉そうなことは言えず、昭和53年に訪れたとき、この工場の横を歩いたはずなのに、駅の記憶はなく、おそらく工場では絵にならないと思ったのだろう、写真も残していない。
 そこで、今回の探訪の最大の目的は、川崎車両工場前駅の遺構を探すことであった。
 

【E地点 川崎車両工場前跡】


 川崎車両という会社は今は合併して川崎重工業となっているが、工場自体は『加古川車両工場』として健在である。ただ、車両工場とは名ばかりで、現在は車両製造は行われていない。参考にダイヤモンド社が昭和43年に発行した『川崎車両』によれば、この工場は次のとおり紹介されている。
加古川工場は昭和41年1月、新設された。(中略)工場横には別府鉄道が走り、貨車の搬出に利用されている。(中略)月産能力は「ワラ」換算250両である。

 

用水路の中の怪しげなゼブラ模様
 あまり詳しく書くと、私の正体がばれそうだが、とあるルートから入手した工場平面図を見ると、片隅に駅舎と書かれているではないか。図面から寸法を割り出すと約10m×2mと小さなものだが、基礎くらい残っていないだろうか、そんな淡い期待を抱いていた。

 工場と線路跡の間には用水路があり、この縁に駅舎があったはずで、周辺を探してみるが、それらしいものはない。念のため、用水路の中をのぞき込むと、ゼブラ模様の柵が落ちている。踏切の柵のようにも見えるが、工場のものかも知れない。
 また、貨車搬出のための引込線が、この用水路をまたいで工場から別府鉄道につながっていたはずで、確かに用水路にフタがかけられた箇所はあるのだが、引込線の跡なのかは判然としなかった。

 用水路をのぞいていると、道行く車の中から、何事かと逆にのぞかれているのに気づき、探索を断念。ということで加古川車両工場前駅跡の探索は、消化不良で終わった。




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