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E地点(唯一の築堤)
 

E地点  【推定線路跡表示】
沿線唯一の築堤。

 D地点の橋からしばらく築堤が続き、沿線で唯一線路敷跡らしさが感じられる場所である。
 この築堤、古い地図にはちゃんと出ているのに、今の地図では省略されてしまっている。 開発が進んで山を切ったり盛ったりするのが当たり前になって、この程度の築堤まで載せていたらきりがないのかも知れない。
 ちなみにこの先でもう少し大きな別府川を渡るのであるが、今度は逆に古い地図にない。これは省略ではなく、別府川はどうやら戦後つくられたようで、遺構ははなから期待できないのであった。 それでも、そこは鉄ちゃんの悲しい習性、万が一との衝動は抑え難く、思わず橋の下をのぞいてしまう。結果、当然ながら何もなかった。

F地点(小さな水路)
 

F地点 地図にも出ていない小さな水路。
シルエットで浮かぶ橋脚が怪しげな雰囲気。
早速のぞきこむと・・・

 

こ、これは・・・

 またまた小さな橋を発見。これは匂う、いや川の水ではない。それどころか市街地に近い用水路とは思えないくらい水はきれいだ。
 それはさておき、早速のぞき込む、
「フッフッフッ、あるじゃないの」
 今度は橋脚まである。ただ、D地点のガーダーに比べると、比較的新しい感じで、いよいよ専用線のものと違うかなと思ったが、たった数mのコンクリート橋に橋脚をつけることもないだろう。
 推測するに、見た目は新しい橋脚は、元の橋脚にコンクリートを巻いたもので、ガーダーは専用線から道路に転用した際、付け替えたかも知れない。そして、道路拡幅の際、さらにその上にどすんとコンクリート橋を乗せたのであろう。
 橋の専門的な知識はないが、D地点も同様、少なくともこれらのガーダーは、専用線のものかは別にしても、コンクリート橋の架台ではなく、以前からあったものだと思うのだが、いかがなものだろうか。

 ここから、少し歩くと加古川バイパスと呼ばれる自動車専用道の擁壁で、専用線跡の道路は分断されてしまう。ちょっと迂回してバイパスの裏にまわると、専用線跡は引続き道路となって加古川へ続いている。 民家も並んでいて、人の姿も見かけたので、声をかけようかと思ったが、民家の門がみな廃線跡の道路に向いている。ということは廃止後に住み出したことは一目瞭然なので尋ねても無駄と思い、黙々と加古川を目指した。

G地点(加古川線合流地点)
 

G地点  【推定線路跡表示】
加古川線との合流地点。(溝之口第一踏切付近)

 専用線は緩やかにカーブして加古川線溝之口第一踏切付近で合流していたようだ。 ちょうど遮断機の下に朽ち果てた標識がある。専用線のゼロキロポストではないかと近づき観察したが、表面はボロボロで、文字などは何も読み取れなかった。

 遮断機の際に立つ朽ち果てた標識。
果たして何が書かれていたのか。




 ここまで来れば、加古川駅は目と鼻の先だ。涼を求めて加古川のデパートの喫茶店へ。出されたおしぼりで汗みずくの身体中を拭く。思えばおっさん臭くなったものだ。
 一息ついて、加古川線で日岡まで戻ろうかとも思ったが、日岡駅から駐車場まで遠そうなので、鉄ちゃんにあるまじき行為と思いながらも、タクシーで公園駐車場へ戻る。
 料金精算の際、運転手が「駐車場でいいの?ここに車を置いて加古川に出てきてたの?」と怪訝そうに尋ねる。「ちょっと加古川まで用があって歩いたんだ」と思わず答えてしまい、運転手が「歩いたァ!?」わかんねぇな、という顔をして苦笑している。 確かに答えになってないとは思ったが、これ以上説明すると、さらにややこしくなりそうなので、運転手の苦笑にこちらも苦笑いだけ返し、タクシーを降りたのであった。

【1999年7月24日現地、同年8月記】



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