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タイトル
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B地点(高江駅付近)
 

B地点  【推定線路跡表示】
熊本へ戻るバスから撮ったもの。
  モハ302

唐突だが、これだけ1982年撮影のもの。
合志川を渡るモハ302。
橋脚は今でも使われているようだ。

 予想通り定刻から相当遅れて到着したバスに乗り、廃線跡は進行方向の右手なので、右側に席をとった。国道のすぐ脇が廃線跡のはずと目を凝らすがわからない。たまたま国道が小さな川を渡ったとき、ふと歩道を見ると、鉄道の橋梁のような構造だった。どうやら廃線跡は国道の歩道に吸収されたようだ。
 バスは高江付近で一旦国道を離れ、集落に入る。慌てて地図を確認すると、このまま行けば廃線跡とクロスするようだ。ちょうど高江の停留所右手の風景で記憶が蘇る。ああ、高江駅跡だ、そしたら反対側が橋かと目を向けると、人動橋となった橋梁が車窓を流れていった。

C地点(泗水駅)
 

C地点  【推定線路跡表示】
店舗となったモハ201。

 孔子公園前バス停で下車。孔子公園で店舗となっている熊本電鉄の電車を見て、ここから廃線跡を歩けるだけ歩こうという趣向である。
 電車は、孔子公園入口脇のおそらく泗水駅時代そのままのホームに横付けされていた。ただ、店舗は開いておらず、電車自体かなり痛んでいる様子であった。冷え込みが厳しいこともあってか、孔子公園内には人影もなく、寂寥感が漂う。
 寒さに耐え切れず、自動販売機で買ったホットコーヒーをカイロ代わりにして、廃線跡を歩き出した。

 この後、国道をクロスして、廃線跡は国道の左手となり、それらしい道が残っている。実は熊本17時発の有明44号で神戸に帰る予定だったので、熊本へ戻る時間を考えると、1時間くらいしか残されていない。何とか広瀬までと歩いていたが、廃線跡を見失ってしまった。熊本電鉄は富の原を過ぎると大きくカーブして国道から離れてしまう。しまった、いつのまにか富の原を過ぎてしまったか、と国道から脇道に入るが、行けども行けどもそれらしいものはない。うろうろしているうちに完全に時間切れ、あきらめて国道に戻りバス停にたどり着くと、富の原。うーん、まだ過ぎてはいなかった、がっくり。 電車と並走
 ということで、なんとも消化不良の廃線跡めぐりであった。
 余談だが、結局有明44号にも、次の46号にも間に合わず、17時40分発のつばめ20号、のぞみ34号と乗り継いで神戸に帰ったのであった。

【1999年12月現地、2000年3月記】

 *参考ページ:『きくち電車クラブ』
   参考文献 :『鉄道廃線跡を歩く/5』 宮脇俊三編著(JTBキャンブックス)



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