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阪神淡路大震災30年

 今年2025年1月17日で阪神淡路大震災から30年となる。
 阪神淡路大震災については風化と言われて久しいが、当時神戸の須磨で震災を経験した自分自身の記憶も風化している。特にその後も東日本大震災や1年前の能登半島地震など大規模災害が続いたことが記憶の風化に拍車をかける。
 でも記憶の風化は避けられないもので、せめて写真などの記録で補完したいところだが、当時は倒壊した家屋などにカメラを向けるのは不遜に感じ、写真を全く撮っていない。
 ただ、震災後2週間ほど後にJR山陽本線の神戸〜須磨間が復旧して電車通勤を再開し、一変してしまった沿線の光景を目の当たりにして、やはり記録しておこうと思い立ち、2月上旬に須磨から神戸へ向かう上り電車に乗ってビデオカメラで撮影した。これが私にとって震災の唯一の記録である。
 
 その映像(約12分)はこちら(shinsai.mp4)
 タイトルやキャプションなどは横着して何も入れていないので、以下のとおり簡単に説明だけ加えておこう。
再生経過時間
00:00〜01:20須磨駅。やってきたのは当時の主力201系だ
01:20〜04:25須磨〜鷹取を走行。この区間の沿線の木造住宅は大きな被害を受けている。
電車は途中で減速してポイントを渡り、電車線から列車線へ転線している。これは新長田駅付近の電車線の築堤が崩落したため、列車線へ回避せざるを得なかったのだ。
04:25〜04:55鷹取駅。通常は同駅を通過する列車線に当然ながらホームはないので、当時のJR鷹取工場構内に仮設のホームを設置していた。
04:55〜05:55
鷹取〜新長田付近を走行。灰燼に帰した長田の町が続く。
05:55〜09:35新長田付近〜兵庫を走行。途中で新長田の電車線の築堤をアンダーパスするが、これは列車線の下り線で、非常時なので逆走する形だ。
ということは鷹取〜新長田間で列車線の上り線から下り線に渡ったはずなのだが、どこなのか映像を見ても思い出せない。
アンダーパスを抜けた後、ポイントを渡って列車線から電車線へ戻っている。
なお、兵庫駅ではビデオカメラを車内に向けてしまい、はっきり顔が写ってしまった人がいるので、この部分のみ編集してカットした。
09:35〜12:07兵庫〜神戸を走行。撮影時点では上り電車は神戸止まりで、その先の灘までが復旧したのは2月20日のことであった。
 ビデオの映像を見て改めて思うのは、甚大な被害を受けながら、地震からわずか2週間でよくぞここまで復旧できたということ。携わった方々の復旧にかける強い意志と努力があったからこそと頭が下がる思いだ。
 なお、併せて震災当日の自分の記憶を記すつもりであったが、うまくまとめられなかったので、別の機会とさせてもらうこととした。

【2025年1月17日記】

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