<本文は1978年に書いたものです>
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連載第5回 夢の跡編その2 秩父の林用軌道

地図(秩父)  昨年の新歓コンパで思い出すのは、秩父の軌道だ。
 新歓の翌日、OBの方や、先輩にくっついて秩父湖まで行った。ただ、当時は一匹狼を気取っていたので、つり橋のところでみんなと別れて勝手に奥に進んだ。その時は正直なところ、一人になれてほっとしたのだった。
 歌を口ずさみながら、軌道跡をぶらぶら捜してなかなか楽しかった。ただ、2時間歩いても、何も見つからないので、少々焦ってはきていた。
 そして、川又に到着、そこから分岐する支線をようやく見つけた。

☆ 滝川支線・・・・・川又から滝川沿いに南下していた。
朽ち果てた橋梁(入川支線)
朽ち果てた橋梁(入川支線にて)

 枕木しか残っていないが、犬釘がささったままなのでゲージを測ってみると、やはり762mm、その犬釘は記念に2〜3本頂戴した。
 軌道跡は1キロも行かぬうちに、10mくらい、土砂崩れで歩けなくなってしまった。まだ先が続いているのはわかったが、なにせ土砂崩れで足場がなく、 たとえ忍者といえども足をすべらせたら、20〜30m下の川面へまっさかさま。 さすがに怖くなって引き返した。

☆ 入川支線・・・・・川又からさらに奥(西)へ、入川沿いに向かう線
 突然、フォルクスワーゲンが登場する。
 かぶと虫から3人ばかり降り立つと、写真をバチバチ撮り始めた。同好の士の急な出現に驚いていると、 「先のほうに、まだ線路が残ってますよ」
今にもトロッコが来そう(入川支線)
今にもトロッコが来そう(入川支線にて)

 2Km先ということだ。川又まで戻ってきて、往復4Km。川又から帰りのバスのあることがわかっていたので、なんとかなりそうだと思って歩き始めた。
 本当に残っていた。台車にエンジンをのっけただけの車輛も置いてあったりして、感激。奥へ進みたかったが、いかんせんバスの時間が迫る。でも、ぎりぎりまでねばった。そして・・・・・
 走る、走る!血相かえて走る!バスに間に合わない。
 しかし、軌道めぐりをすると必ず駆けねばならぬ。屋久島、大嶺、みんな走った。
 話をもどして、バスの発車時刻ぎりぎりに川又に着いて、ほっとした。
 ところが、運ちゃんが、車掌とのんびり10分くらい遅れて、たばこふかして談笑しながらやってきたので頭にきた。
 あとは無事、秩父湖でバスを乗り継ぎ、秩父鉄道、西武鉄道を利用して帰った。

☆ ところで、川又で積み上げてあったレールに、ドルトムント、カムメルならぬ、妙な刻印がしてあった。
レールの刻印


 これはいったいどういう意味なのでしょうか。

1977年4月の軌道めぐり
【1978年6月発行キロポスト第64号】
地図(広域)

インターネットで、たまたま、この秩父の入川支線を取り上げているページを見つけました。
それによると、荒廃は進んでいるものの、まだ、線路は残っているようです。

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当時、私の大学の鉄研では、新入生歓迎コンパは泊りがけが恒例だった。
レールを枕木に打ち付ける釘。
釘の頭が犬の頭の形に似ているからこう呼ばれる?
その頃は、ちょこちょこよく動くので忍者と言われていたのかも知れないが、 今となってはあまりよく覚えていない。
昔、日本が輸入していたレールのメーカー名だったと思うが、 最近は鉄道趣味もご無沙汰で忘れてしまった。今度調べてみます。(^^;)

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