番外1 スタンダード編その1 貝島炭鉱専用線
スタンダード編その1は貝島炭鉱だと銘打ったものの、実は手元の日記帳には何ひとつ書き残されていない。
ということで、まったくの記憶だけで記したので、記憶違いによる誤りはご容赦。
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犬鳴川を渡るコッペル31号機
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さて、貝島炭鉱へ初めて行ったのは昭和50年(1975年)の春、
50/3のダイヤ大改正で新幹線が博多まで延び、同時に九州内の国鉄のSLが全廃された頃であった。当時、私は駆け出しの鉄ちゃんで、居候させてもらった親戚の家で、
「もうちょっと早く来ればSLが見れたとに、惜しかったばい」(注:九州弁はいい加減)
などと言われ、もしかしたらどこかに残っているかも知れないとわざわざ国鉄に問い合わせもしてくれたが、もちろん、すべて廃止されたという返事であった。
そんなある日、叔父のひとりから、
「SLば、見に連れて行っちゃろうか」
と誘われた。
「せっかくですけど、もうSLは無くなったんですよ」
「いやいや、間違いないけん、まかしちょき」(これって土佐弁?)
「どこに行くんですか?」
「宮田」
「へ?」
宮田(私)が宮田にSLを見に行く?
正直、どうもうさん臭い話で、行ってみたら保存SLの展示という落ちではないかとは思ったが、宮田という地名に惹かれて、とにかく叔父の運転する車で宮田に向かった。
当時、筑豊本線の勝野から宮田線(平成元年廃止)という支線が出ており、(筑前)宮田はその終点であった。余談だが、最近トヨタが新工場をつくったので、地名を知っている人も増えたかも知れない。
宮田に着くと、確かに筑前宮田駅から先に線路が延びていて、鉄ちゃんの姿も見える。もしかして本当にSLが走っているのだろうか。どんな列車が来るのか、どきどきしながら待つ。
どれくらい待っただろうか、遠くから煙が上がるのが見えた。やあ、本当にSLだ。
その時は国鉄のSLが走っていると思い込んでいたので、乏しいSLの知識の中から、最初は遠目に
9600かな、さらに後ろに
炭水車がないことに気付き、
C11かなと思った。
そして、クッチャンクッチャンというロッドの音とともに、目の前に。
?????
こんなSLの形式知らない。メーカーは?と銘板を見ると、
KOPPEL。
?????
コッペルって小さな機関車じゃなかったっけ。
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アルコ23号機
筑前宮田にて
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貝島炭鉱のコッペルそして
アルコのSLは、その筋では有名というのは後で知ったことであり、全く予備知識のなかったこのときは、本当に驚きであった。
コッペルはひとしきり入れ換えに勤しんだ後、作業員にハンマーでゴンゴン叩かれている。
ハンマーの音の違いで亀裂などを察知するというのは聞いたことがあるが、どうやら単純にコンプレッサー?の調子が悪いようで、
叩いて直すという原始的な行為だったようだ。
そんな光景を眺めているうち、あっという間に時間が流れていった。
翌日、今度はひとりで宮田へ向かう。それもストレートに行くのではなく、乗りつぶしも兼ねて、鹿児島本線遠賀川から、これも昭和60年に廃止された室木線に乗り、室木から歩いて宮田に入った。
その日、列車を待っていると、構内からひょこひょこと、今度はコッペルよりも小さく、サイドタンクが前面まで伸びたお世辞にもかっこいいとは言えないSLが出てきた。
これがアルコとの初対面で、まるでマンガからそのまま出てきたようなスタイルが強く印象に残った。
結局、貝島炭鉱にはその後、同じ年の夏に訪れたきりとなってしまったが、情報化の進んだ現代ではなかなか得られない、未知なものに初めて出会ったときの新鮮な感動は、今でもはっきり心に残っている。
1975年3月の軌道めぐり
【1999年3月記】