連載第8回 夢の跡編その3 奥羽種畜牧場の軌道跡
野辺地から、
南部縦貫鉄道の一番列車に飛び乗って、七戸にやってきた。七戸のパン屋で朝メシのパンを買おうと財布の中身を見てガク然。100円玉が数枚しかない。確か千円札を入れたおいたはずだが、野辺地の宿に荷物を預けた際、一緒に置いてきたらしい。しかし、くじけずパンを買った。残り百数十円。
さて、
A氏とD氏はおわかりだろうが、古い地図と新しい地図を比べて軌道跡を捜す。小道があった。どうやらこれらしいが、確かめるすべがない。運良く近くでたき火をしているおじいさんがいた。ベレー帽をかぶったなかなかイキなおじいさんだ。
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たき火をするおじいさんと軌道跡の小道
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「ちょっとお聞きしますが、昔、このへんに軌道があったそうですが」
「はぁ?」
「あのォ、線路はありませんでしたか?」
「ああ、ありましたよ。ちょうどここが終点」
やっぱりそうだ。でも、戦後すぐになくなったという軌道の面影は、何ひとつ残っていない。この軌道は牧場に通じていたので、飼料などの運搬用かと思ったが、向こうから七戸まで通う学生や、買い物客の輸送が主だったということだ。
「それで、機関車はどんなものを使っていたかわかりますか?」(もしかしたら、うずもれたSLを発見できるかも知れない)
「エッ?」
「客車をひいた、きかんしゃです」
「アハハ、馬ですよ、馬」
「ウマ!?、なるほど、牧場だから・・・・・」
「花見の頃はトロッコみたいな客車が何台も何台もやってきてねェ」
今では、ただの小道であるが、ここへ何台も、何台も、馬車列車がやってきたのか。そんな情景を思い浮かべてみる、言い知れぬ感動がおしよせてくる。これも夢の跡ならではの味わいである。
「この小道を行けば、始点まで行けますね」
「いや、家ができたりしてこの道は行き止まりだ。行くのだったら、そこまでついていきましょう」
と、そのおじいさんにつきあってもらい、軌道跡を歩いた。
小道はすぐ行き止まりだった。そこから少しそれて、自動車道ができる前は、メインストリートだったという道を歩くように言われ、おじいさんと別れた。もちろん、そのメインストリートには、昔、馬車が走っていたとのことである。
しばらくゆくと、学校が見えた。そう、だからもう七戸まで通う必要もないわけだ。近くのお店の人に尋ねると、トロッコはこのへんを走っていたという返事だけで、はっきりしたことはわからない。
いよいよ奥羽種畜牧場へ入った。おりからの小雨に遠くが霞み、すばらしい景色であった。南部縦貫鉄道に乗る機会があったら、ぜひ牧場へ行かれることをお勧めする。
牛を横目に見ながら(なんとなくこわいので)、牧場を横断していると、見事に牛フン1発、グチャ。緑色の牛のフンに片足をつっこんでしまった。歩くたびにくつがズボンのすそにふれて、緑色にそめてゆく、みじめー。
いったい、軌道跡はどこにあるのだ。と、ふと牧場の杭を見たら、あれま、なんとレール、かわいいレール、見渡せば、あちこちに立っている。道へ出てみると、それに沿ってまちがいなく軌道跡がある。その日の日記には(当時高3、若かったなあなんて感傷にふけりつつも書き写すと)
あーあーあー、オレを30年前にもどせ、あのレールをつなげよ、トロを走らせよ、馬よひけ、軌道よ、
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レールの杭(時計は大きさ比較のため)
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なんて、興奮して書いてある。
こうして3時間ほど歩き、七戸へ戻った。さて、最後にどうやって帰るか。南部縦貫鉄道七戸駅。
「あのー、実はお金を野辺地の旅館に忘れてしまってないんです。野辺地に着いたらすぐとってきますから」
「しょうがないなあ、野辺地に着いたら、すぐ払って下さいよ」
と、名前と旅館名を控えられて、どういうわけかパンチを入れずに切符をくれた。野辺地に着いて事情を話すと、車掌さんが、その切符じゃ降りれないでしょ、と、パンチの入った使い古しの切符をくれた。その好意に答えるためにも、一目散に金を取りに駆けたのであった。
1976年7月の軌道めぐり
おまけ
南部縦貫鉄道沿線には、もうひとつ、軌道跡がある。
東北本線乙供駅から西へ、南部縦貫鉄道後平駅付近を横切り、深く山中へ入る軌道である。といっても、南部縦貫鉄道がない頃、つまり、昭和30年頃までには廃止されていたはずで、状況もだいぶ変わり、軌道跡発見はあまり期待できなかった。
例によって、後平の軌道跡付近を歩きまわると、柵にレールが使われている。ピピピ、鬼太郎のごとく妖気ならぬ軌道気?を感じ、またまた例によって近くでそうじをしていたおじいさんに尋ねた。
「この道がそうですよ」
ウヒャ、こんなに簡単に見つかるとは! 聞けば、鉱山軌道と営林署の森林軌道が同居していたそうで、鉱山は閉山、営林署はトラック輸送にかえて廃止されたそうだ。
あまり時間をとっていなかったので、適当にその道を歩いていると、ウワー、イヌクギ!犬釘だ。道端にさりげなく犬釘が一本落ちていたのである。大事そうに拾う様は、はた目にはどのように見えたろうか。
ところで、拾ってきた犬釘、改めて見ると、あまり腐食していない。廃止後の年月を考えると、違うかな、なんて疑問も出てくるけど、いいじゃないか、自分でその軌道のだと信じていれば、ねェ。
1977年8月の軌道めぐり
【1980年6月発行キロポスト第90号】