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思い出話

 かれこれ20年くらい前の学生時代、鉄道旅行にはノートを持っていき、印象をメモしたりしていたので、それを元に、『思い出話』と銘打って書いてみようと久しぶりにノートを開いてみた。すると例えば、昭和55年の2月15日に小樽の『ポルシェ』というレストラン喫茶で『フライランチ』580円也を食べた、とあるが、何も思い出せない。(当たり前か)
 だいだい、メモが断片的で、さらに断片となってしまった記憶を呼び戻すのも一苦労。
 逆に、メモを読んで、自分の記憶と違う!と一人で突っ込んでみたり、いかに記憶というものがあいまいか痛切に感じた次第。

 そこで、今度は当時所属していた『鉄道研究会』の機関紙?『キロポスト』を引っ張り出し、これを転載することにした。
 単に転載するのは恥ずかしいので、全面的に書きなおそうかと思ったが、悲しいかな記憶の問題と、良し悪しは別にして、年とともに若い感受性が失われているのは確かなようで、どうも素直に書きにくい。
 ということで、そのまま転載することにした。(内容に問題があっても、まあ、昔書いたものですから、と逃げを打とうという思惑もあるが)
 内容的には紀行文が多く、その中でも『軌道めぐり』と題して、連載したものを中心に転載することとした。
 ところで軌道めぐりとは何か、当時は2本のレールがあれば、軌道とみなし、すなわち新幹線からトロッコまで軌道めぐりの対象となるとして、とりあえず、
 ナロー編:JR在来線などの日本の標準軌間(線路の幅が1,067mm)よりも狭い(narrow)
       762mmや610mmなどのいわゆるナローゲージを対象としている。
 夢の跡編:いわゆる廃線跡のことで、手前味噌ながら、夢の跡というネーミングは自分でも
       気に入っている。鉄道跡というのは、思いのほか線路や橋、トンネルなどの遺構?
       を見つけることができ、地元の人に昔の話を聞いたり、結構楽しいものであるが、
       最近はその筋の本が何冊も出ているのには驚く。
 その他、軌道めぐりの広い定義に従い、1,067mmのスタンダード編なども考えていたのだが、結局“キロポスト”に掲載したのは、ナロー編が6編、夢の跡編が3編の計9編で終わってしまった。

 転載にあたり、さすがに誤字、脱字の修正(それでも直っていなかったらすみません)と、内輪話や個人名などは一部を削除したり、仮名にした。
 本文中の写真は、もちろん今回挿入したものだが、注記がない限り、当時のものを使い、一部は別にアルバム編としてもまとめてみた。
 落書きとも言えない稚拙な絵は、今書きなおしても進歩がないので、そのままスキャンした。字がつぶれてしまっているのはご勘弁を。
 なお、Internet ExplorerおよびNetscape Navigatorのバージョン4.0以上の場合は、本文の青い文字部分にカーソルを合わせると、注書きなどのコメントが表示されるようにした。

 その頃から、団体旅行や仲間内だけの旅行はあまり好きではなく、なるべく一人で土地の人と話をするのを楽しみにしていたように記憶しているが、読み返してみると、感受性というよりも、要は旅の恥はかき捨て、単に地元の人に迷惑をかけていただけように思える。そこで、この場を借りて、改めてお礼を、

 その節は本当にご迷惑をおかけしました。そして大変お世話になり、ありがとうございました。



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