【写真53】
フィルムを再びカラーに替えて、軸バネがなくて使い物にならなかったという人車の写真を撮っていると、早速トロッコが下りてきた。
鮮やかなオレンジ色の人車の横を、トロッコが駆け下りる。
前々日の経験から、続けてトロッコが下ってくるはず。そこで今度は陽の当たる明るい場所で待ち受ける。
ところが確かにカタン、カタンというトロッコのジョイント音が聞こえてきたのだが、デュルルルルというエンジン音も一緒だ。そう、トロッコは推進運転のDLにつながれていたのであった。
DLの運転席には、前々日に話を伺った佐藤工業の人がいた。目が合って、軽く会釈をしあう。
その写真(右)は、
本文のトップに使ったが、白々しく「上っていく」などとキャプションを入れている。いや、だますつもりはなかったのだけど。
【写真54】
ちょっと本文の「上っていく」というキャプションの言い訳をしておこう。10年以上前、原稿をアップした当時は、フィルムスキャナーなど持っておらず、たまたまプリントしてあった写真をそのまま取り込んだのである。そのときは写真だけを見て、上っていくと思い込んでしまったのだ。
今回、当時の日記を読み返し、ネガを確認してみると、次のショットはDLの前面が写っている下の写真。それで「あっ!推進運転だったんだ」と思い出した次第。
【写真55】
最後にモーターカーが下りてくるはず。ここで一計をめぐらす。
切り通しを走るモーターカーを苗畑側で撮り、すぐに追いかけて、苗畑のターンテーブルでの方向転換を撮るという一石二鳥を目論んだのである。
切り通しは暗いので、感度のいいモノクロフィルムのトライXに、またもや入れ替えて戻りかけると、トテン、トテン、軽快な音が聞こえてきた。間違いなくモーターカーのジョイント音だ。まだ9時前なのに、もう帰ってきた。慌てて駆け出すが、切り通しまでたどり着けず、あきらめてカメラを構える。と同時に、カントに車体を傾かせて、モーターカーが顔を出した。
【写真56】
撮影後、モーターカーの後を追い、走る走る。
これは切り通しを走りながら、文字どおり後追い撮影したもので、ぶれぶれの写真だが、敢えて掲載。
写真4を撮ったのとほぼ同じ場所だ。
【写真57】
それで追いかけた結果は?
アルバムのページにも載せたとおり、なんとか方向転換に間に合ったのであった。
ということで、写真だけ見ると、いかにも待ち構えて撮ったようだが、ぜいぜい息を切らせながら、汗だくで撮影したものなのである。
アルバムは3枚組の写真だが、実はもう1枚あって、最後に右側の職員が、レールを固定するかんぬきを足で操作している写真だ。
【写真58】
職員が引き上げていく姿を、またシルエットで。
ただ、その先になぜかモーターカーの姿が見える。そういえば、方向転換をした後に、給油?のためバックしていったような気もする。
さあ、こちらもそろそろ宮之浦港からフェリーに乗るために、出立の準備をしなくては。
DLの運転士などに挨拶して、職員の後を追うように作業場を抜けて、宿へ引き上げたのであった。
■ ■ ■
ANAの機内誌「翼の王国」は持ち帰り自由だ。もちろん、屋久島電工が載っている4月号はもらっていこうと、かばんに入れかけて思い直す。これから出かけるのに持ち歩いては荷物になるし、なによりしわくちゃにしてしまいそう。これは帰りの飛行機でいただくことにしようと、座席のポケットに戻す。我ながら冷静だ。
そして、数日後、帰途の空港搭乗口に着いて、自分が大ボケをかましたことに気づく。いや、帰りはJALだったという落ちではない。旅の間に月が変わって、5月になっていたのだ。
やむなく近くにいたANAの地上スタッフにダメもとで事情を告げると、
「バックナンバーですね。在庫を見てきます!」
と探しに行ってくれた。
しばらくして、「ありました!」と、にこにこしながら駆け寄ってくる。もちろん、手には「翼の王国」4月号。
「よかった、ありがとう」礼を言って受け取る。
まるで自分のことのように嬉しそうなスタッフの笑顔がまぶしい。気持ちのいい旅の締めくくりであった。
【1977年8月現地、2013年7月記】