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甘木鉄道
気分的にはかなり後ろめたいものがあった。
といのも、甘木は両親の出身地ということもあって、親戚が大勢いる。それなのに挨拶に顔を出すこともなく、晩に甘木に入り、駅前の宿に泊まって、翌朝帰ってしまったからである。
実は、甘木鉄道が2003年4月のダイヤ改正で、ラッシュ時に約15分ヘッドと増発された様子を見るために立ち寄っただけで、時間が限られていたのである。
そんな言い訳をしても、「なんだ水臭い、駅前の宿に泊まるくらいなら寄ればいいのに」と親戚にはお小言を受けそうだが、まさか泊まるだけというのも気が引けて、不義理を決め込んでしまった。
翌朝6時過ぎには活動開始。時刻表で、7時01分に甘木鉄道と西鉄甘木線が同時に甘木に到着することに気づき、並走シーンを期待して、両線が最も近づく小石原川の辺に立つ。結果は下の写真のとおり、西鉄が先に来てしまい、タイミングがずれてしまった。考えてみたら、同じ甘木駅といっても西鉄のほうが少し離れているので、これぐらいのずれは当たり前か。
甘木駅の構内に入ると、朝の通勤時間とあって、300台収容という広い駐車場に次々に車が入ってくる。
30年近く前の学生時代、それこそ親戚の家を根城にして、当時の国鉄甘木駅から九州各地へ出かけたものだが、その頃に比べたら大きく様変わりした。何といっても国鉄時代は1日7往復だったのが、今は44往復もあるのだから、利便性は段違いである。
それでいながら、甘木駅の駅舎自体は昔のままの落ち着いた風情で変わっていない。ちなみに西鉄甘木駅の駅舎も、大手私鉄というよりローカル私鉄のような好ましい佇まいを残している。
甘木鉄道が約15分ヘッドにできたのは、交換駅を松崎駅1つから、太刀洗駅、大原信号所(立野〜小郡間)の3つに増やしたからだ。
その大原信号所の様子を車内から撮ったのが右の写真。朝のラッシュアワーも過ぎて、対抗列車がいないのがちょっと残念。
甘木駅で出発間近のAR−302(右)とAR−401『卑弥呼』号。
邪馬台国の所在については、いろいろな説あるが、ここ甘木(朝倉)も有力な候補地である。
もちろん、『卑弥呼』という愛称もそれに因んでつけられたものだ。
これは国鉄時代の1975年に撮影した甘木駅構内の様子。
キハ20の単行が夕暮れの甘木駅に停車している。左手に見えるのが今も変わらない駅舎。
当時は周遊券を使っていたので、もっぱら国鉄の甘木線を利用していたが、上述のように本数が少なかったので、行程を組むのに苦労したものだ。
それも遠い日の思い出である。
【2003年7月現地、2004年9月記】