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余録/五百羅漢
北条と言えば、五百羅漢。
そう記憶に刻み込まれたのは、もうずいぶん以前のことだ。それでも、なかなか訪ねる機会がないまま月日が流れてしまった。
でも、何度も北条鉄道に足を運ぶようになったのだから、一度は行かなくちゃということで、撮り鉄の合間に訪ねてみた。
思ったより狭い敷地に、ひしめくように並ぶ五百羅漢。
「拙い」とリーフレットにあるように、いかにも素人の彫り方だ。眼窩をくぼめた彫り方は、モアイ像に通じるところもあるように思う。
ではなぜ、これだけ多くの石像を彫ったのか、リーフレットを読むと、いつ、誰が、何のためにつくったのか、全く史料がないとのこと。
そうなると、自分自身で五百羅漢を感じるしかない。
古人がノミをふるう姿をイメージしながら、一体一体確かめていく。どんな思いで彫ったのだろう。
同じリーフレットでは、飢饉や戦禍で亡くなった人の弔いではないかと推測している。確かに小さな子供のような石像もあるので、そういう意味があるように思える。
ただ、悲嘆にくれながら彫っている姿もイメージしにくい。それくらい五百羅漢の表情は穏やかなのだ。月日の積み重ねのなせる業かも知れない。
結局、五百羅漢は謎のままなのであった。
その中にあって、他とは少し趣の異なる石像が目に留まった。首に襟巻のようなものを巻き付け、手にも何か持っている。なにより表情がいい。
酸いも甘いも噛み分けて「人生そんなもんだよ」と語りかけているような気がする。
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