もう今(2008年)から5年前のことになるが、2003年4月、近畿日本鉄道から譲渡され、三岐鉄道として再スタートした北勢線。
鉄ちゃんを自認する私もこの展開には驚いたが、数少ないナローゲージの鉄道が生き残ったことに、ほっと胸をなでおろしたのであった。
ちょうどその頃『ローカル私鉄なるほど雑学』の原稿を書いていたので、何はともあれ新生北勢線の様子を見に出かけたのは同年7月末のこと。以前訪れたのが1976年だったから、27年ぶりの再訪であった。
北勢線には、近鉄やJRと接続する西桑名から入るので普通であるが、この日は意表をついて?阿下喜から入る。
実はその前にやはり取材(名目)で三岐鉄道三岐線に立ち寄り、同線伊勢八田駅から阿下喜駅まで、てくてくと歩いてやってきたのであった。
阿下喜駅の駅舎は、記憶以上に小ぢんまりしている。(その駅舎も2006年、建替えられてしまったそうだ)
待合室では、とても上品な感じの年配の女性が、俳句の本を読みながら電車を待っていた。電車が来るまで時間があったので、声をかけてみると、予想どおり穏やかな口調で答えてくれた。
その女性は、楚原から阿下喜まで通院に使っているそうで、やはり三岐鉄道として残ってよかったと安心した様子であった。ただ、阿下喜まで来る電車が少ないので本数が増えればいいのですが、とのこと。確かに1時間に1本程度しかないのは少々使いにくい。
そんな声が届いたのか、三岐鉄道が引き継いだ当時、1日18本だった阿下喜発着の列車が、今は30本に増便されている。三岐鉄道になってからは、そのほかにもパーク&ライドなど、利便性向上の手を打っており、その甲斐あって利用者の減少にも歯止めがかかったようだ。
さて、阿下喜駅からの沿線の様子を5年前のノートのメモから拾ってみよう。
電車は員弁川沿いを走るのであるが、意外に沿線の木々が大きく、まるで森の中を走るような風情だ。27年前に来たときもそうだったのか、思い出せない。森で車内が暗くなったので、六石駅(現在は廃止)で車掌が車内灯を点けたほどである。
次の麻生田(おうだ)駅を出て、小さな橋を渡ると平地に出て、上笠田(これも現在は廃止)に着く。車内も明るくなり、車内灯も消された。
上笠田駅を出てしばらくすると、急カーブを切って築堤を走り、楚原の集落に入る。
と、メモはここで途切れてしまっている。確かその楚原あたりから、大勢の中学生が乗り込んできて車窓を眺める余裕もなくなってしまったのである。
西桑名では、最後に近くの近鉄名古屋線・JR関西本線と北勢線が並走する踏切へ向かう。
説明するまでもなく、近鉄の軌間は1,435ミリ、JRが1,067ミリ、北勢線が762ミリだから、この踏切では大中小の軌間の線路が仲良く並ぶ姿を見ることができるのである。
それぞれの線路の写真も撮ったが、なにせ踏切での撮影は焦る。当時はデジカメではなかったので、画像も確認できないまま慌てて撮った写真は角度が違ってしまった。
それでも、レール脇に置いた長さ10センチの煙草の箱と比較して、線路の幅が大きく異なることはおわかりいただけるだろう。