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松本電気鉄道
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波田駅の踏切
 このまま隣の波田駅まで歩いてみるが、意外に距離があって、上り22列車が到着する12時10分ぎりぎりに到着。
 電車が到着する直前、踏切の警報機が「カンカンカン」と鳴り出した。あっこの音は!と警報機を見やると、確かに警報機の頭に鐘が付いている。電子音ではなく、本当に鐘を叩く警報機が残っていたのだ。右の写真は、その踏切と入線する上り22列車。

 下車したのは新村駅。もちろん、ひまわり畑が目的だ。
 広い。車窓からでも「なにこれ」と驚く広さであったが、いざ見渡す限りのひまわり畑を目の当たりにすると、驚きがさらに大きくなる。聞けば約40万本もあるそうで、手入れを考えただけでも、気の遠くなりそうな本数だ。
 ただ、鉄道撮影という点では、線路がひまわり畑の南側を走っているため、光線がちょっと厳しい。さらに南側に線路ということは、当然、ひまわりはみんな線路のほうを向いている。
 というわけで、新村側から撮った下り21列車の写真では、ひまわりが全部そっぽを向いてしまった。まあ、電車を見物するひまわりたちを後ろから撮ったと思えばいいか・・・。

ひまわり畑を行く/下り編


 新村で上下列車が交換するので、本来ならすぐに上り列車がやってくるのだが、この時間だけはなぜか森口駅で交換するようで、上り24列車は10分後となる。こちらにとっては好都合で、その間に反対の松本側に移動してカメラを構える。やっとひまわりの横顔が見えるくらいになった。

ひまわり畑を行く/上り編 ひまわりを正面から
上り24列車。 後ろや横向きのひまわりばかりだったので、正面から撮った写真を1枚。


元東急5000系
 新村駅に戻って、構内で保存されている元東急5000系をのぞいてみる。車内では『古い電車で新しい語らいの会』のメンバーがミーティングをしていた。
 ちょっと入りにくいが、少しだけお邪魔する。

 次の電車を新村駅の待合室で待つ。新村駅の駅本屋は、大正10年の鉄道開業時のままというだけあって、いかにも由緒ある風情だ。
 そう感じるのは、何も鉄道ファンだけではないようで、現に待合室に居合わせた、おそらく史跡めぐりをされていた年配の家族連れも、さかんに駅舎にカメラを向けていた。

新村駅 開業当初の社紋
新村駅本屋 入口に掲げられた開業当時の社紋


忘れ形見
信濃荒井駅のホーム上屋に残された忘れ形見
 新村からは上り電車に乗り、ひまわり畑を再び車窓に見て、信濃荒井へ。ここと渚駅の間で渡る奈良井川での撮影を、今日の最後にもってきたのである。
 奈良井川では、あれこれ撮影ポイントを探してみるが、結局、オーソドックスに信濃荒井側の土手の上で撮影。

奈良井川を渡る


渚駅
 撮影後、渚駅まで歩く。渚駅は、『渚』という響きからは、およそかけ離れた雰囲気の駅で、片面のホームには、トタン張りの簡素な待合室が、ぽつんと建っているだけであった。
 ここまで来れば、松本はもう目と鼻の先なのだが、少々疲れたこともあって、渚から2駅だけ電車に乗って、松本に戻る。
 そして、特急『しなの』に乗換え、神戸への帰途についたのであった。

【2009年9月現地、同年12月記】


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