今(2008年5月)から4年半前の2003年9月某日、午後の半日休暇を取って水島臨海鉄道に向かった。以下、当時の日記から思い出したことを書いていこう。
新幹線で新神戸から岡山に行き、在来線に乗換え、倉敷へ。
倉敷というと、大原美術館をはじめとする美観地区のイメージが強いが、失礼ながら駅前は場末感さえ漂う。その駅前から水島臨海鉄道の倉敷市駅は、こんなに近かったかな、と思うくらいすぐに着いてしまった。前回訪れたのが1976年だから、記憶が曖昧で、昔から近かったのか、駅の場所が変わったのかさえ判然としない。
次の列車は15時26分発の三菱自工前行き。何の下調べもしてこなかったので、お目当てのキハ20がどの運用に入っているかもわからない。そのキハ20との期待に反して入線してきたのは新型のMRT306であった。
車内に入ると、意外に奥行きがあって、他の鉄道の気動車と比べても、車体がずいぶん長いように感じる。(調べてみると全長は21.3メートルとやはり長い)
約27年ぶりの車窓は、次の球場前駅あたりのカーブに覚えはあるものの、その後は高架に入ってしまい、様相が一変している。
西富井に着くと、運転士が「貨物列車待ちのため9分停まります」とアナウンス。それを聞いた乗客のおばちゃんが「やれやれ貨物が優先なのね」とため息をついている。
おばちゃんには悪いが、鉄ちゃんにとって貨物列車は大歓迎。運転士に断って、ホームに降りて貨物列車を待ち受ける。
やってきたのはJR貨物のDE10形が牽くコンテナ列車。長大な編成が走り抜ける様は、鉄道も負けていないと訴えかけられるようで心強くもある。
西富井の次の福井駅で一旦高架から地上に降り、浦田駅を過ぎたあたりからまた高架になる。おかげで車窓の記憶は全く蘇らない。
弥生駅のあたりで、ふとJFEスチールの高炉が見えることに気づいた。改めて見渡すと高架になったおかげで見晴らしはいい。無粋なコンクリート高架とケチをつけるのではなく、眺めがよくなったと前向きに受け止めよう。
それにしても、ダイヤに余裕があるのか、弥生、栄、常盤と微妙に停車時間が長い。
水島駅で乗客はついに自分ひとり。ここでも長く停車するので、あれ、もしかして水島止まりと時刻表を見間違えたかな、と自信がなくなる。
そのとき、若い女性が乗り込んできて、運転士に「倉敷には行きませんよ」と言われて慌てて降りていった。そんな出来事で、ああ、やっぱり三菱自工前行きに間違いないと知る。
こうして三菱自工前に到着。下車するなり、MRT306はさっさと奥の倉敷貨物ターミナルにある車庫に引き上げてしまった。
ほどなく、その奥の踏切が鳴り出し、機関車の姿が見えたのでホームでカメラを構える。牽引機は水島臨海鉄道オリジナルのDE701で、てっきり2線あるうちの外線を通ると思ったら、ホーム側に入ってくる。いかん、アングルを変えようとホームを駆け下り、閉まりかけた踏切を渡って反対側から撮る。
ただ、おかげで逆光、かつ露出も合わせる暇がなく、真っ暗な写真になってしまった。
再び駅に戻ると、作業服姿の若い男が携帯電話で「5時まで列車がない」とか「8時から3時まで列車がないよ」と話している。水島で働いているのに、多くの列車が水島折返しだということを知らないのかな、と思って見ると、胸に見習いという札を下げている。まだ入社して間がないので勝手がわからないのだろう。水島まで歩いても知れているので教えようと思ったが、延々電話中なので、ほっておくことにする。
ぼつぼつ倉敷貨物ターミナルへ行ってみようと駅を後にして歩き出すと、また踏切が鳴りだす。先ほど車庫に引き上げたMRT306であった。
ああ、そうか、水島始発の運用に就くために戻るんだ、と思って見送ると、三菱自工前駅で停車した。さきほどの見習いの男がベンチからふらふらと立ち上がっている。5時まで列車がないはずなのに、と戸惑っていることが遠目にも伺える。おそらく運転士が気を利かせたのだろう、MRT306は、その若い男を乗せて、発車していった。