この日の最後は、やはり夕日目当てに少しでも見通しが利きそうな十府ヶ浦(とふがうら)海岸駅へ。上下列車の間隔が短いのであまり移動せずに2本撮影。
夕暮れのシルエット写真は、どこで撮っても同じような感じになってしまう。この2枚も、わざわざ三陸まで来て撮る写真か、と言われそうだが気にしない。
最終日の早朝も、しつこく野田玉川駅付近の橋梁へ出かけたものの、当然ながら同じような写真になってしまったので省略。
宿に帰る前、国道45号線沿いの展望スペースに車を停めて、安家川橋梁を遠望する。そもそも安家川橋梁は側壁が高くて下回りが隠れてしまうので、遠目にしたということもあるが、周囲の様子を収めておきたいと思いもあった。このため説明的な写真になってしまったのはご容赦を。手前に下安家漁港、泊まった「えぼし荘」は見えないが、橋梁右手の山の中腹にある。
宿をチェックアウトして、釜石へ向けて南下する。この日は釜石14:18発の「はまゆり6号」で帰途に就く予定なのだ。
途中、前日に白井海岸〜堀内間の「まついそ公園」付近で見つけた桜を撮ることにする。花と葉が一緒に開いているので、山桜の一種だろう。花が白いのでオオシマザクラかなと思ったが、東北ではあり得ないか。
一方の線路は、恐ろしいほど高いよう壁の上を走っている。おかげでアングルに苦労しつつ撮影。
まずは真横から見上げる形。
あまりにも窮屈な感じだったので、次は少し斜めに構えて。
う〜ん、今度は半逆光になってしまい桜が映えない。これ以上は無理と見切りを付けて、ひたすら釜石を目指す。宮古を過ぎて、運休中の山田線沿いを走り、大槌町に入る。街中は更地が広がり、建築中の家があちこちに見受けられる。来春の再開に向けて大槌駅の工事も進んでいた。その様相は、さながら開発途上の新興住宅地のようだが、津波の甚大な被害からの復興途上であることは言うまでもない。
こうした中で、旧大槌町役場の建物だけが、被災したままの状態で残されていた。大槌町に寄ったのは、解体の是非が問われたこの旧大槌町役場が目的なのであった。
重い・・・。
旧役場の周囲だけが重い空気に包まれている。津波に襲われた怨嗟の声が未だ渦巻いているようにさえ感じる。ここで家族や知人を亡くした人にはいたたまれないだろう。旧庁舎を解体してほしいという気持ちはよくわかる。一方で、現物以上に津波の恐怖を伝えるものはないとも思う。
最終的に旧庁舎は解体が決まり、おそらくこの原稿を書いている今は、工事が進んでいることだろう。その是非を問える立場にはないが、陳腐な言い方ながら、建物が解体されても津波の悲劇が消えることはない。
来年、三陸鉄道として大槌駅も再開業する。それに合わせてまた訪ねてみようと思う。
【2018年4月現地、同年10月記】