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上田電鉄
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 つい何度も『上田交通』とキーボードを打ち間違えてしまう。もっと古くからのファンなら、『上田丸子電鉄』かな?
 ちなみに、上田丸子電鉄が上田交通になったのは1969(昭和44)年、そして2005(平成18)年、鉄道部門が上田電鉄として分社され、上田交通は持ち株会社となったそうである。
 前回上田を訪れたのが1978(昭和53)年のことだから、かれこれ30年以上前のことだ。新幹線の開業で駅も立派になり、駅前もこざっぱりとして、時の流れを感じずにはいられない。

上田駅 上田電鉄ホーム
駅前のペデストリアンデッキから上田駅を望む。 上田駅で発車を待つ第5列車7200系。

 そんな駅前のビジネスホテルに泊まった翌朝、7時23分発の下り第5列車でスタート。目指すは塩田町。駅の近くに塩田中学校、中塩田小学校があるので、例によって電車通学を狙ったのである。
 ただ、道中の車窓から、他の小中学生が登校する姿が見えて、出遅れたかと焦る。
塩田町駅
車椅子用のスロープも設けられた塩田町駅。
後ろの木立は塩田中学校。校舎もちらっと見える。
手前を腕組した生徒指導の教師が歩いている。
 本当に出遅れたのか、塩田町で下車した小中学生はゼロ。
 まあ次の上り電車に期待しようとホームに降り立つ。すぐ目の前に塩田中学校があり、校庭では早朝練習の中学生たちの元気な声が響いていた。みんな朝が早い。
 ただ、校庭には今の時代には珍しく、プレハブの校舎が並べられているのが不思議であった。
 駅を出ると、すぐ上田寄りの踏切で、トレーナー姿のいかめしい男性が目を光らせている。
「どう見ても生活指導の教師だな。小学校か中学校どちらだろう」と興味は覚えたものの、生活指導の教師には苦手意識が刷り込まれている。どうも気後れして、しかとを決め込む。
 上り電車までまだ時間があったので、一旦駅に戻り、ホームの端の喫煙コーナーで一服していると、その教師もやってきた。こうなれば声をかけないわけにはいかない。
「おはようございます。小学校か中学校の先生ですよね」
「中学校で生徒の指導を担当しております」(やっぱり!)
「毎日踏切に立ってらっしゃるんですか」
「いえ、交通安全週間が始まるんで、それに合わせてなんです」
「プレハブ校舎というのは珍しいですね」
「今、校舎を建替中で、校庭も狭くなって生徒たちにはかわいそうなんですが、年末までにはなんとか新しい校舎に移れそうです」
「そうだったんですか。でも、校庭は狭くても生徒さんたちは元気に朝練してますよね」と校庭に目を向けると、「あれ、もう引き上げ始めてる・・・」
「8時10分までに入室する決まりになっていますから」
「なるほど」
「で、それ以降もうろうろしている生徒を指導するのが私の役目というわけです」
 ということで、教師は踏切へ、私はホームと、それぞれの持ち場に戻る。そしてやってきた8時3分の上り電車。中学生は3人しか下車しなかったが、まあよしとしよう。

踏切を渡る中学生

乗ってきた電車が走り去ったあと、踏切を渡って学校へ向かう。
その横で、生徒指導の教師が目を光らせていたのであった。

 荷物をまとめ、まだ踏切でがんばっている生徒指導の教師に挨拶して、次の撮影ポイントへ向かう。
 ちょうどひとりの中学生が前から歩いてきた。教師が「おはよう」と声をかけるが返事がない。
「おはよう」「おはよう」と何度も声をかけると、うざいなあ、という顔でやっと小さな声で挨拶を返している。
「なんだよ元気ないなあ〜」と教師も苦笑いを浮かべていた。そんな中学生の態度をけしからんと言うつもりはない、難しい年頃なんだよね。いかめしい教師が苦笑いするしかないのが、かえっておかしくて、噴出しそうになるのであった。


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