きっかけ
1999年秋のある日、駄菓子さんこと、二村さんからメールが入った。
「今度、路面電車の本を書くことになったが、興味があったら手伝ってもらえないか」
正直、戸惑った。駄菓子さんとは、それまで「ホームページ見ましたよ」とメールを数通やりとりしていただけで、面識もなかった。駄菓子さんのほのぼのした文体から、まあ、取って食われることはなさそう(^^;)とは思ったものの、プロのライターであることはわかっていたので、ど素人の私に手伝うことなんてあるのだろうか、そんな思いであった。
何はともあれ、駄菓子さんといっぺん会わなきゃいかんと、東京出張の折りに初顔合わせ、「まあ、とにかく気軽に何か書いてみてください」という曖昧な?ご指示。
そのときは、まさかそれから半年後の今年(2000年)4〜5月、毎日のように「原稿まだ?」と督促のメールが届くことになるとは、夢にも思っていなかった(^^;)
まあ、それは冗談にしても、ちょっとだけ手伝うつもりが、現地取材から原稿書きまで、思った以上に忙しい日々が続いた。この時期、ホームページの更新が滞ったのも、そのためだったのである。
私自身、文章を書くことは好き(速さは別)で、せっかくなら多くの人に読んでもらいたいという気持ちも強く、ホームページにも転載した『軌道めぐり』など、大学時代の鉄研の会報にせっせと書いたものである。もちろん、もっと広く、本にまとめて出版できたら、と思うのは、私のような趣味をもった者なら誰でも夢見ることだろう。
サラリーマンになって久しく、そんな夢も忘れさせる日々が続いたが、インターネット時代を迎え、ホームページとして公開できるとわかって、すっかりはまってしまった。ポツリポツリとではあるものの、全く見ず知らずの人から感想のメールをもらっては、感激していたのである。
ある意味、『読んでもらいたい』という気持ちは、ホームページで満足していたはずなのだが、本の話がとんとん拍子に進んで、あれよあれよという間に、夢が現実のものとなった。
今、改めて手元の『がんばれ!路面電車』の著者名に自分の名前を見て、信じられない気分だ。
これも、最初に声をかけていただいた駄菓子さんのおかげであり、心からお礼を申し上げたい。さらに駄菓子さんには、きっかけをつくっていただいただけではなく、私の中途半端な原稿の推敲、校正までいろいろとお世話になった。その手際の良さに、さすがプロと舌を巻いたものだ。そんな経緯もあって、著者名が連名なのも少々気恥ずかしい。
また、山海堂編集部の佐藤さんは、ど素人の私なんぞに原稿を任すなんて、内心冷や冷やだったはずだが、暖かく見守っていただいた。
本当に、いい経験をさせてもらうことができたと思っている。改めてお二人に感謝したい。
【2000年7月記】