取材してみて
現地取材期間は、昨年(1999年)末から今年の春までの概ね半年間であった。その間、豊橋、岐阜、岡山、広島、松山、高知、北九州、長崎、熊本、鹿児島、そして日帰りで京阪、京福、阪堺とまわった。土日を中心に有給休暇を少々使ったが、考えてみたら、学生時代の鉄ちゃん生活よりはるかに密度が濃い。途中、駄菓子さんから「くすぶっていた鉄ちゃん魂に火をつけてしまったようで」なんてメールをもらっても、もう止まらない。自分でも信じられないくらい乗っていた。
取材風景。土佐電鉄のノルウェー市電
198形の運転席のミラーを撮ったもの
現地のホテルで朝6時すぎに起きて、簡単な朝食を済ませてまだ明けきらない街に出て、朝のラッシュなどを取材して、ホテルに一旦戻って10〜11時にチェックアウト。お昼過ぎから車庫や事務所にお邪魔して、そのときの話を元に、もう一度街をうろついて一日を終え、次の街へ向かうというパターンであった。
結局、食事以外は、一日中歩き回っていたわけで、我ながらよく動けたものだと思う。40過ぎになってにまだこんなに燃えることができるんだと、嬉しい気分でさらにテンションが上がり、いい意味で相乗効果となったように思う。
ただ、せっかくこれだけの都市を巡ったのに、観光などひとつもしていない。なんて自慢にもならないことを他人に話してしまうものだから、「やっぱり鉄ちゃんって変わってるんだ」という反応しか返ってこないのだが。
出版社の方からも、取材を楽しんでいるのが原稿から読み取れる、と言われたように、乗りに乗った取材であるが、反省点はたくさんある。
まずは、取材の行程がほとんど1泊2日であったことで、さすがに1日では現地のムードをつかみきれないし、帰ってきてから、しまった、あれもこれも見忘れたと気がつくことがままあった。まあこれは事前準備が足りないということもあるのだが、何とも気になって、広島と長崎には2回行くことになってしまった。
同じく高知、はりまや橋
取材で行った唯一の観光地?
そして2つ目の反省点は、現地取材と称しながら、もともとの趣味である写真撮影に終始してしまったことだ。さらに悪いことに、例えば1日数本しか走らないローカル線だと、撮影に失敗したらあきらめざるを得ないのだが、路面電車だと数分待てば次が来てしまう。おかげで、えーいもう1本、さらにもう1本、と繰り返しているうち、1時間以上じっと同じ場所に立っているなんてことがたびたびあった。
観光する暇などなかったなんて偉そうに書いたけれど、撮影時間を削ってもう少し広く見聞したら、1泊2日の取材でももう少し厚みを増すことができたのではないかと思っている。
最後に最大の反省点。駄菓子さんや出版社の方には言いにくいが、土壇場まで自分が本を書いているという実感がわかなかったことである。心のどこかに、素人に本が書けるはずがない、そのうち、後ろに『どっきりカメラ』と看板が出るのではないか、なんて思いがあって、なかなかエンジンがかからなかったのだ。おかげで本当の土壇場がドタンバタ(^^; 校正の追いこみについていけず、ついにGIVE UP。最後はほとんど駄菓子さんに頼ってしまい、迷惑をかけてしまった。
次の企画では、こんなことにならないよう、しっかりスケジュールを立てて書いていこうと心に決めている。
ん?次の企画って、そんな話あるの???
【2000年8月記】