京福電気鉄道1/2
2000年のゴールデンウイークは、路面電車の取材と称して、前半に伊予鉄道や土佐電鉄と四国へ遠出し、後半に近場の京都の京福、京阪へ行く計画を立てていた。
車体更新前のモボ129。
1978年7月、嵐山にて。
が、さすがにこの自分勝手な計画にカミさんからクレームがつき、「京都くらいなら連れて行きなさいよ」ということで、京福電鉄へは家族そろっていくことになった。
と言っても、カミさんと子供は、京福電鉄の御室駅から仁和寺〜金閣寺と巡るハイキング、私はただひたすら京福電鉄と、現地では別行動であった。そして確か13時半に金閣寺で落ち合うか、はぐれたら最終14時に北野白梅町で落ち合うというスケジュールであった。
例によって神戸から阪急神戸線、京都線と乗り継いで四条大宮へ。京福電鉄の窓口は長蛇の列で、本には「さすがゴールデンウィーク」なんて書いたが、本音を言うと、人ごみは苦手で、特に子供を連れていたりすると、ちょっとうんざりしてしまう。
前の電車から後ろの電車の運転席を見ると、
車掌が運転士よろしく座っている。
普段は単行のワンマン運転の京福電車も、この日は多客期とあってすべて2連となっていた。前後の車両を行き来する貫通扉がないので、さすがにワンマンではなく、後ろの車両に車掌が乗っている。
車掌は運転士よろしく運転席に座っていて、最初は「あれ、総括制御できないんだっけ」なんて勘違いをしてしまった。京福電鉄は、いわゆる後ろ乗り前降りで、下車時に運転士の横で運賃を清算する。だから車掌が運転席に座っていたのだ。もちろん、運転するわけではないので、走行中の所在なげな様子が何となくおかしい。
帷子ノ辻で、北野線に乗り換えるカミさんらと別れ、徒歩で太秦へ戻る。大勢の乗客が乗降する光景や、広隆寺前の併用軌道を走る電車の姿を撮ったりして、蚕ノ社、山ノ内と一駅ずつ戻る。このあたりはやや狭い道幅の併用軌道で、人影も少なく落ち着いた風情だ。対照的に時折通り抜ける電車内だけがすし詰めで、今しがたその満員電車に乗ってきたことも忘れて、思わず「たいへんだねぇ」なんてつぶやいてしまう。
新緑の中、レトロ電車モボ21形がゆく。
三条口〜山ノ内間にて。
山ノ内から三条口に戻る途中で道路も広くなり、電車はまぶしい新緑の中を走ってゆく。