長崎電気軌道
2.長崎の路面電車
「路面電車乗ったことある?」
職場の女子社員に尋ねてみた。
「うん、長崎で乗った。ガイドブックにも路面電車のほうが便利だって書いてあったわよ」
それくらい「長崎といえば路面電車」というイメージは浸透している。
確かに街の中心の繁華街から、南はグラバー邸・大浦天主堂・オランダ坂、北は浦上天主堂そして原爆記念館・・・
ほとんどの名所・旧跡は電車で行くことができる。
お后様を路面電車もお見送り。
(毎年2月開催のランタンフェスティバル)
おまけに運賃は100円均一で路面電車の中では最も安い。最長系統の赤迫〜蛍茶屋7.4Kmが、もしJRだったら190〜210円だ。
乗客数も年間約210万人、距離の割には多い数字で、なるほど朝から晩まで乗車率は高く、ガラガラということはあまりない。乗客の多さは運賃が安いこともあるが、ワンコインということにカギがありそうだ。
また内輪話で恐縮だが、先日、同僚の交通費の清算書を見ると、市役所往復200円と書かれている。
「往復200円って、片道100円だったの?」と尋ねると、
「歩こうと思ったんですが、100円って書いたあったので思わず乗ってしまいました」とのこと。
ワンコインには、つい乗せられてしまう不思議な魅力があるようだ。
長崎でも同じことが言えるのだろう。ちょっと歩こうかと思ってもちょうど電車が来たら、100円玉一個ならと思わず乗ってしまうだろう。そこに目をつけて、最近100円バスなどが徐々に増えたり、交通機関ではないが100円ショップも大はやりである。
でも、長崎電軌が100円均一にしたのは1984年(昭和59年)であり、15年以上も前からワンコインを採用していたわけで、まさしく先見の明ありと言える。
さらに昭和59年は消費税の導入前であり、現在から見れば実質的な値下げもしているのである。
他の都市の路面電車の中には赤字のところも多いが、長崎電軌はこの運賃を維持して20年以上黒字経営を続けている。これはワンコインで乗客が増えたということだけではなく、様々な経営努力も大きいと思う。
この数年で、年1両の割合で新車を入れているが、古い車両の台枠や台車、モーターなどを再利用したいわゆる車体更新車として、新車の価格の2/3程度に抑えている。当然、足回りは古いままなのでツリカケ式の直接制御である。
ランタンフェスティバルの花形、
その名も87形、花電車が出発。
(長崎電軌本社前にて)
長崎電軌は車両数で日本一の広島電鉄に次ぐ規模で、くしくも同じ被爆都市ということもあり、何かと比較されることが多い。1編成数億円の最新鋭の超低床車グリーンムーバーを一挙に4編成も入れてしまう広島電鉄に比べると更新車両でしのぐ長崎電軌は地味な感じはする。もちろん会社の規模も違うし、人口約110万人の政令指定都市である広島市と、人口約40万人の長崎市とを直接比較するものではないだろう。
でも、これからの高齢化社会を考えれば乗降のしやすさは重要になってくる。そこで長崎電軌は安全地帯のホームを嵩上げし、電車のステップの段差を減らして、少しでも乗り降りしやすくしようと工事を進めている。
また、本社車庫の屋上を月極駐車場にしたり、浜口町電停の上には長崎西洋館というしゃれたショッピングセンターにするなど、立体利用による増収も図っている。
最新技術の導入という派手さはないが、地味というより地道な姿勢が伺える。長崎の街自体がしっとりと落ち着いついた雰囲気で、社風にも表れているのだろう。電車の塗装も深い緑にクリーム色の渋いツートンカラーが街に妙に似合っている。職員もみないい意味でプライドがあり、結束力の高さと質実剛健な気風が感じられる。1982年(昭和57年)、長崎を襲った大水害のときも職員が一致団結して復旧に当たり、予想以上の早期再開を果たしたという話もうなずける。
そんな長崎電軌でも、ついに古い電車の下回りが老朽化で使えなくなり、2000年度は純新造車を導入するそうだ。
「やはり最新型のVVVFになるんでしょうね」と尋ねると、
「いえ、従来どおり抵抗制御です」
やはり質実剛健。
【2000年4月記、同年8月加筆】
*4月記とは?
もともと『がんばれ!路面電車』の全国路面電車ガイド用に書いたものだが、本をお読みになった方はおわかりのように中身はまったく異なっている。
そんなまわりくどく言わなくても、要はボツ原稿をそのまま転記したもの(^^;