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名古屋鉄道 後編 2/2
関からの帰りは、野一色では乗り換えず、そのまま新岐阜に向かう。切符は市内線のみ有効の『ワンデーフリーきっぷ』しか持っていなかったので、車掌さんにこれで新岐阜まで行きたいと告げる。
「この切符では、徹明町経由でないと田神から新岐阜まで別料金になりますが」
「構いません」
ということで、関〜日野橋340円也と田神〜新岐阜160円也の補助券2枚を切ってくれた。
こうして新岐阜に戻り、JRの岐阜駅から神戸に帰ったのであった。
そして、約2ヶ月後の6月8日の朝も岐阜で迎えた。その日は東京へ日帰り出張の予定で、前夜に岐阜入りして、朝、少しだけ美濃町線の取材をして、何食わぬ顔で東京へ出張したのだ。もちろん宿泊費は自費であるし、今度はひとりの出張なので、部下にも迷惑はかけていない。(と胸を張って言うことでもないけど)
35年前の電車とは思えない優美なスタイルの
元札幌市電、モ870。複電圧車改造前の姿。
『がんばれ!路面電車』の校正が、大詰めを迎えていた時期に岐阜へ行った理由は、原稿を書いてみて、細々したことが気になったからであった。電話で尋ねてもよかったのだが、前回、美濃町線には乗っただけだったので、続行運転の様子を見てみたいという趣味的な気持ちもあって、再訪を決意したのであった。
競輪場前で新岐阜発の電車と、徹明町発の電車が合流して続行運転になる様子をながめて、合流地点脇にある信号所らしき建物に失礼ながら飛びこみで訪ねる。
色々なことをお聞きした後、件の島式ホームでの右側通行のことも尋ねてみた。
「う〜ん、運転のことはよくわからないんだが、元札幌市電のモ870は、運転席の扉が左側にしかないので、通票の交換をするのに島式のホームでは降りられなくなるからかな」とのこと。
本当の理由はわからないとのことだったが、十分納得できる理由であった。
新岐阜発のモ880が関方面に向かう。
わかりにくいが、前面窓の左下に見える黄色い丸が
続行車の存在を示す。続行車モ870が右側で待機中。
そして、もうひとつ、気になっていた通票の呼び方について尋ねた。本来は『通票』が正しいのだろうが、土佐電鉄では『タブレット』と呼んでいたし、一般的にも通じやすいと思い、本の原稿もタブレットとしていたのである。
「タブレットを使っているんですよね」
「正確には『通票』と言います。通票閉そく方式ですから、『タブレット』とは違います」
「でも、現場では『タブレット』と呼ぶんじゃないんですか」
「いいえ、『通票』と呼んでいます」
そこまできっぱり断言されては引き下がるしかない。
東京出張から帰って、原稿の校正をお願いしていた駄菓子さんに慌てて訂正のメールを送る。
かくして、『がんばれ!路面電車』の名鉄の項で、単に『タブレット』としていた原稿は、『タブレット(正確には通票)』との表現に修正されたのであった。
【2000年4・6月現地、12月記】