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(1)1974年 夏
磐越西線の五泉駅から信越本線の加茂駅までの21.9Kmを結んでいた蒲原鉄道。1985年(昭和60年)に村松〜加茂間が廃止され、残された五泉〜村松間のたった4.2Kmのほのかな灯火も今年(1999年)10月消えてしまった。
蒲原鉄道へは1974年(昭和49年)の8月、他の学校の鉄道研究会もおそらく同じことをしていたと思うが、年間研究テーマとしていた磐越西線へ夏合宿へ向かう道すがら寄ったのが初めての訪問であった。
当時高校1年で、何となく鉄道研究会に入った私は、その頃は鉄道写真を撮る考えはなく、蒲原鉄道の写真も撮っていない。ついでに書けばその後泊まった会津若松でも他の鉄研メンバーは日中線で走っていた蒸気機関車のC11を撮りに行ったのだが、私は宿に残ってお茶をすすっていたくらいで、今では考えられないほど鉄ちゃんとは無縁であった。
蒲原鉄道のことは、文化祭で成果発表として機関誌に小文を書いたのであるが、読み返してみると全文転載するにはあまりに稚拙で恥ずかしい(今の文章が高尚というつもりもないが)ので、一部分のみ抜き出してみる。
この電車は自分では扉を開けない。つまり手で開けることになる。
小さな小学生が大きな扉をガランとうならせてはいってきた。そしてしばらく後、突然
「夜の国だ。夜の国が来るぞ!!」
なんだろう、夜の国とはと思ったとたん、トンネルに入った。なるほど夜の国か。では、トンネルを出れば朝の国だな。はたして、
「朝の国だ。わぁ、まぶしい」
「朝じゃないぞ、昼だ」
「おい、また夜の国が来るぞ」・・・・・
私自身は小学生の様子をそのまま書いただけのつもりであったが、この小文のおかげで、その後しばらくの間、鉄研のメンバーで列車に乗ると、トンネルに入るたび「おい、ミヤタァ、夜の国だなぁ」とからかわれたのであった。
(2)1978年 夏
それから4年の歳月が流れ、立派な?鉄ちゃんに成長した私は、再び蒲原鉄道を訪れることになった。
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夜の国から朝の国へ
モハ31
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懲りもせず大学でも鉄道研究会に入部しており、同じ部員のS氏と二人、夜行急行『佐渡4号』(だったと思う)で新潟に向かった。しかし、別の場所に行きたいと言うS氏とは、翌朝、早速別行動となってしまった。このへんの割り切りが鉄ちゃんらしいところではある。
朝早すぎるので、今度は加茂ではなく、一旦新潟まで行き、磐越西線に乗換え、五泉側から入る。乗車したのはモハ31の単行であった。乗って驚いたのがブワーンというものすごい音で、窓ガラスもびりびりと震えるほどであった。
最初はコンプレッサーが動いているのかと思ったら、スココンコンコン、スココンコン、と紛れもないコンプレッサーの音が鳴り出した。
ということはMGの音なのだろうか。
事前に途中の高松から狭口まで歩こうと決めていたので、車掌さんに「高松まで」と言うと、村松までの切符を渡された。確かに村松のほうが大きな駅なので、〜松と聞いて、無意識に村松と思ったのだろう。
「え、高松ですか」と車掌さんは驚いたように切符を切りなおしてくれた。
こうして予定どおり高松で降り、電車の写真を撮りながら土倉を経て、冬鳥越というロマンチックな名前の駅に着いたが、実はこの日は雨で、びしょ濡れになりここで挫折。次の七谷まで電車に乗る。やってきた電車はまたモハ31で、朝と違ってワンマン運転になっていたが、相変わらずブワンブワン唸っている。七谷での降り際、思わず運転手さんに何の音か尋ねてしまった。
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既に稲刈りも終えた田んぼを
横目に走るモハ61?
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「これはMGの音なんです」
「調子悪いんですか?」
「別にそうではないですけど」
「でもすごい音ですね」
「ええ、まあ・・・」
七谷は交換駅。山あいのこぢんまりとした雰囲気がいい。地元の人に声をかけられたりして、雨でうっとおしかった気分がほのぼのとほぐれてくる。雨足は強かったけれど、やる気を取り戻し、狭口まで歩く。その後、村松へ引き返し、駅事務所で車庫内での撮影をお願いする。「どうぞ、構内に入ってください」とあっさり許可をもらい、電気機関車のED1や、ボロボロになってはいたが貴重な木造車体のモハ21などを撮りまくった。
結局、構内で2時間くらい費やし、五泉経由で新潟に戻った。
新潟駅の改札を出ると、ばったり同じ大学鉄研のK氏に出くわす。びっくりして「どうして新潟に?」と尋ねると、181系の特急『とき』に乗りたくて来たという。確かに181系は引退間近であったが、それだけのために乗車券・特急券を払って新潟までとは・・・これぞ鉄ちゃんの鑑、なんて書いても一般人には理解しがたいことあろう。そんなK氏と夕食を共にし、S氏が待っているはずの宿へ向かったのであった。
【1999年10月記】
夏景色と称しながら、稲刈りの終わった田んぼの写真でわかるように、
2回目の訪問は、実は9月下旬のことでした。
夏景色という題名にこだわったのも、実は3回目の訪問が真冬で、
本編の続編を冬景色と題して書こうと決めているからなのです。
このときは、山あいの雰囲気の良かった七谷駅へも
思いもよらぬかたちで再訪することになりました。