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それから20年余りの歳月が流れた2003年4月、再び片上鉄道を訪れる機会があった。
もちろん、片上鉄道は、1991(平成3)年、廃止されてしまったから、乗ることはできない。
ただ、片上鉄道保存会が、毎月第1日曜日に運転会を行っており、これに出かけたのである。
2003年4月の第1日曜日といえば、息子と岡山電軌鉄道の新型9200形『MOMO』に乗った日。つまり、その帰りに片上鉄道に寄ったわけである。
■吉ヶ原への道
岡山でMOMOの乗車と朝の散策を終え、ホテルをチェックアウト。一路吉ヶ原へ車を走らせる。県道を走っていたつもりが、どこで間違えたのか、いつのまにか吉井川沿いの細い道に入ってしまった。方角は合っているからいいか、とばかりそのまま走り続ける。一部拡幅されている区間もあって、道路が広がったり狭まったりするのに合わせて、車のスピードを加減する。
幅員が2.2mとなることを予告する標識。
この先で、道幅が極端に狭くなっている。
そんな調子で走っていると、また幅員が狭くなるという標識が目に入った。「ああ、また減速しなきゃ」と少しスピードを落として、その標識を過ぎると、極端に道幅が狭くて慌てて急ブレーキ。そろそろとバックして、改めて標識を見ると、これより720m幅員2.2mとなっている。
道幅2.2mといったら、もちろん行き違いはできないし、車の幅だけで1.7mあるから、両側の遊びは25センチずつしかない。こんなところを700mも走れっこないと引き返そうとすると、2台のオートバイが後ろからやってきて、行ける行けると手招きしている。その細い道から対向車が出てきたこともあって、「ええい、ままよ」と車を進める。
少し走ると、路肩が広がり、行き違いができるようになっている箇所があった。なるほど、これなら大丈夫そうだ。前方から対向車が来るのが見えたので、一旦ここで待機する。すると、対向車が「来いよ」とばかり、パッシングしている。おお、あそこも信号所か、今のパッシングは閉塞の合図だな、なんてすっかり鉄の乗りである。いつの間にか、後ろにはRV車がいて、さながら続行運転だ。
信号所で、タブレットを渡す代わりに、対向車に「ありがとう」と手を上げて行き違う。
こうして狭い道を無事抜けると、和気の町はすぐであった。
ここからは、いよいよ片上鉄道跡に沿って走る。ところどころ見覚えのある景色があって、感慨深い。まさか廃線になった後、車で息子を横に乗せて来るなんて、思いもよらなかった。
お昼を過ぎたので、周匝近くのコンビニで弁当を買い、吉井川の土手の桜の下、息子と座って食べる。岡山市内の桜は満開であったが、さすがにこのあたりの桜は3〜5分咲きであった。
■吉ヶ原にて
吉ヶ原駅で待機するキハ702。
隣のDD13は、トロッコ仕立ての
貨車をひいて、構内を行き来していた。
モダンな三角屋根の吉ヶ原駅は、昔のまま。出札口で切符を買い、ホームに出ると、きれいに整備されたキハ702が待機している。早速、乗り込むと、これまた昔のまま、なんともなつかしい。
一緒に乗った息子は、何このぼろいの、という顔をしているが、もうそれは無視。ボックス席に腰をかけ、エンジンのアイドリング音を聞いているだけで、昔に戻ったような気分になる。
しばらくして、いよいよ発車、ひときわエンジン音が高鳴る。ほんの数百メートル走行して折り返してしまうが、実際に音を聞き、動きを感じることができるのは、動態保存ならではの味わいである。とはいえ、おそらく動態保存は大変な手間ひまがかかるはずで、保存会の苦労は想像にかたくない。
ホームに下りて、のんびりと写真を撮っていると、なんだかキハ702の乗降口が騒がしい。「おーい、誰か早く来てくれ」と保存会のメンバーが助けを呼んでいる。何か事故でもあったのか、そんなことがあったら、せっかくの保存活動がだめになってしまう、と焦って駆け寄る。
すると乗降口から、車椅子に乗ったおばあさんが、保存会のメンバーに担がれて下りてきた。きっと昔を偲んで不自由な身体をおして出かけてきたのだろう。事故ではなくてほっとするとともに、甲斐甲斐しく世話をする保存会のメンバーに、改めて頭が下がる思いであった。
構内を折り返すキハ702。
こうして見ると、現役時代と錯覚しそう。
もっと長くいたいな、と思ったものの、それは息子が許さない。いくら暇だからといっても、岡山電軌や片上鉄道だけに息子が素直についてくるはずはない。
実は吉ヶ原の隣町の英田町に、TIサーキット英田というサーキットコースがある。ここでレーシングカーを見るというのが、息子の本来の目的だったのである。
この日は、公式のレースがあるわけでもなく、サーキットは閑散としている。それでも、レース仕様のポルシェなどが雷のようなエクゾースト音を上げて練習走行している。キハ702のエンジン音などかわいいものである。
さっきまではしかたなく、という顔をしていた息子は、水を得た魚のように観覧席を飛び回り、写真を撮っている。当の私は、まあ、こういうのもありかな、と誰もいない観覧席に一人座り、レーシングカーと息子の姿を眺めていたのであった。
【2004年2月記】