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熊本電鉄 路線図
地図


 熊本電気鉄道(以下熊本電鉄と略す)は、菊池軌道として1911年(明治44年)に開業し、社名、路線の幾度かの変遷を経て、最近まで熊本市内の藤崎宮前から郊外の菊池までの23.2Kmと、上熊本〜北熊本間3.4Kmの支線からなるローカル私鉄であった。
 菊池には温泉があり、地元では菊池電車と呼ばれているように、もともとは菊池温泉への湯治客輸送が目的だったと思うが、1986年(昭和61年)2月、御代志〜菊池間13.5Kmが廃止されてしまい、肝心の菊池温泉への鉄路は失われてしまった。
 ローカル私鉄の場合、部分的な廃止を経て全廃されるというパターンが多いので、熊本電鉄もいずれ廃止されてしまうのではと心配していたが、部分廃止から14年、車両も他社からの中古車とはいえ大型車が増備され、元気に走っている。

 さて、私が初めて熊本電鉄を訪れたのは、部分廃止の11年前、1975年(昭和50年)3月のことである。当時まだ高校1年、鉄道研究会の春合宿と称し、旧国鉄の豊肥本線(熊本〜大分間)へ行ったついでに寄ったのであった。直前に今でも現役のキャノンFT-bを購入し、ようやく本格的に鉄ちゃん道に入り始めた頃である。
 と、ここまで書いてきたが、例によってその頃はメモを残していないので、記憶が極めて断片的になってしまっている。

「市電で上熊本まで行ったらね、熊本電鉄というのがあっておもしろいわよ」
 語尾でおわかりのように、熊本電鉄のことを教えてくれたのは同じクラブの女の子という記憶がある。それでもなぜその子が熊本電鉄のことを知っていたのかは思い出せない。一応付け加えておくが、鉄道研究会の女の子といっても別にガチガチの鉄ちゃんではなくて、旅行好きな普通の女の子である。
 今ならその子に「そしたら一緒に行こうよ」と誘うのだろうが、純情無垢な当時、そんなことに考えも及ばず、言われたとおり、ひとり市電で上熊本へ向かい、熊本電鉄に乗車した。
北熊本にて
上熊本から貨車を牽いて北熊本に到着。

 上熊本からの電車は、たまたま貨車を牽いていて、早速のローカル私鉄ならでは光景にすっかり魅入られてしまった。本線と合流する北熊本も好ましい雰囲気で、沿線で写真を撮ったり、車庫にくつろぐ古い電車の写真を撮ったりしていた。
 女の子に教えてられて来たくらいだから事前調べなど何もしておらず、電車たちの由縁は知らず、元東急や元小田急がいたことは後で知ったことである。

 この日は昼過ぎから熊本電鉄に入ったので時間がなくなり、これはもう一日来なきゃということで、翌日、フィルムを白黒からカラー(フジカラーN100・・・なつかしい)に入れ替え、終点の菊池まで足を伸ばす。車中から撮影ポイントをチェックして、高江駅付近の合志川と、山越えのような雰囲気が気に入った富の原〜広瀬間で撮ることにする。菊池から折り返し、まず広瀬で下車。富の原まで撮影しながら歩き、次のポイントである高江駅へ向かった。
 余談だが、昼食を確か高江駅近くの食堂でとったのだが、頼んだラーメンは、白濁したスープに紅しょうがが添えられていて、思わず「なにこれ、変なラーメン」とつぶやいてしまった。言うまでもなくとんこつラーメンなのであるが、当時は今のように各地のラーメンに接する機会はなく、初めて食べるとんこつラーメンであった。スープの白さと紅しょうがの赤色が強烈に目に焼き付いていて、初めて『食べた』というより『目にした』記憶のほうが鮮明に残っている。

 結局、2日間で撮った写真の枚数はカラーも含めて40枚くらい。今だったらこの数倍は撮っているだろう。もっとも、いつもファインダーを通してしか見ていない今がいいとも言えない。
 おまけに白黒をカラーに入替えてというのが落とし穴だったのだが、白黒はASA400のコダックのトライ−Xから、その名のとおりASA100のフジカラーN100に入替えた際、露出計をセットしなおすのを忘れて撮影してしまい、できあがったカラー写真はどれもこれも夕暮れ(^^;)
 いかにも初心者らしい失敗をしてしまった。

 このときは、律儀に2日間とも上熊本から入ったので、藤崎宮前〜北熊本間が未乗となってしまったが、後日、その区間には併用軌道があるということを知り、4年後の1979年に再訪した。
 そして、一気に時は流れ、再び併用軌道に立ったのは20年後、すなわち昨年のことである。熊本を訪れた機会に、まだ残っているという併用軌道に寄ったのであった。それほどイメージは変わっていない併用軌道で、つい先日まで大都会東京でせわしなく走っていた都営地下鉄がのんびり走り抜ける姿を、得も言えぬ気分で見送ったのであった。ただやはりカメラのファインダーを通してであるが(^^;)
生え抜きのモハ103 元都営地下鉄の6000系
1979年 熊本電鉄生え抜きのモハ103
1999年 元都営地下鉄の6000系

 【2000年2月記】

 *参考ページ:『きくち電車クラブ』(熊本電鉄のすべてがわかる楽しいページです)


併用軌道を走る都営地下鉄は、見ようによっては都落ちの侘しさはありますが、
せかせかした都会を離れて、ほっとしているようにも感じられます。
これらの思いが交錯して得も言えぬ気分になったのでした。
考えてみれば、20年前に見た小さな電車たちの中にも
1960年代に東京からやってきたものがあります。
当時の鉄道ファンも、同じような思いで見送ったのでしょうか。

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