仲間が続々とやってきた。ここは神戸のある会社の寮。入社試験を受けるべく、各大学の学生が40名以上集まった。集まった面々は、国立勢が多く、私立も早慶と軟弱S大は肩身が狭い。
また、試験前日というのに、三宮あたりまで飲みに出かけ、午前2時ごろ帰寮する(ちなみに門限は23時)豪傑も現れ、私は始終圧倒され気味であったが、そこは持ち前ののんびり加減でのらりくらりとかわした。
11/1〜2に渡って行われた試験は英語、それもヒアリングが中心で、非常にこたえた。
【このあと、入社試験のことなので中略】
その日の晩は、
頼んで会社の寮に泊めてもらい、翌朝5時半に出発した。余談だが、寮は神戸高速鉄道の湊川駅付近にあり、試験会場は同鉄道花隈、そしてこの日、高速神戸から阪神電車に乗り、梅田へ。
結局車両を一両も持たない神戸高速鉄道内で、
阪急、山陽、阪神、神戸の各電車に乗ったわけで、乗入れ盛んな現代の妙と言えようか。あと、東京育ちの私にとって驚きなのは、やたらと多い自動改札で、ただただ感心するばかりであった。
地下鉄御堂筋線で天王寺へ。7:20発の『きのくに4号』に乗る。発車するとすぐ検札。
さすが悪名高き
天王寺管理局。だいたい天王寺のホームには新宿のように改札があり、急行券を確かめられたばかりなのに、もう検札とはおそれいる。
しばらく列車にゆられているうち、大きいほうをしたくなった。毎朝するように習慣づけている身体は嘘をつかない。
しかし、車内のトイレでするのは、沿線の人や、保線の人に悪いので、がまんした。こんなことするから旅行中、便秘になるのだ。かつて、博多の岩田屋の便所で40分ふんばった時の辛さがよみがえる。
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登山口にて モハ32
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それはともかく、ようやく
野上電鉄日方駅の小汚い便所で用を足した。ここで接頭語『小』について考えた。小汚いというと、ものすごく汚いという感じだ。しかし、読んで字のごとく、『小』には『ちょっと』とか『小さい』という意味しかない。
例えば、汚いの反意語『きれい』に『小』をつけると、『小ぎれい』、どう考えてもものすごくきれいという意味はない。小汚いという発音が『こきおろす』に通じるものがあるためか、まあ文法というよいフィーリングの問題だろうが、うーん、便所を見て、国語について考察する。我ながら鋭い。
さて、例によって庫内で車両の写真を撮らせてもらう。ここには今朝乗ったばかりの阪神電車の先祖達が大勢いる。明かり窓をつけた車両も残っている。さすがに喫茶店とかサロンとか言われた車両は失われていたが、写真を撮ったり、メモったりしている間、何本かの電車がやってきた。
まずモハ23。これは唯一の元阪急電車。リベットだらけのごつい車だ。次に明かり窓つきのモハ32。車内の写真を撮りたかったので、「みなさん、すみません、写真を一枚撮らせてもらいます」と叫ぶと、みんな緊張してしまい、逆効果であった。
そしてモハ24。正面5枚窓の古めかしい車だ。車庫にいなかったので、てっきり廃車かと思っていたが、どっこい生きているぜ、とばかりに登場した。
結局これに乗り、沿線で写真を撮った。日方に戻り、紀勢線で藤並へ。愛想のいい駅員に「鉄道撮影ですか」と迎えられ、「三脚はお持ちじゃないですか」と言う。見栄っ張りな私は、つい「いやぁ三脚は重いんで家に置いてきましたよ」なんて答えてしまった。
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みかん畑を行くキハ58
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ここからは
有田鉄道キハ58 003に乗った。キハ58 003は、国鉄気動車中、最大両数を誇るキハ58と同型であるが、大きな違いは両運転台であることだ。
両運転台の急行型。考えてみると妙だ。この車両は5年ほど前まで富士急が所有し、急行“かわぐち”として中央線新宿まで乗入れていたなじみ深いもので、完全に都落ちした姿は哀れだろうと思っていた。
しかし、9月に全検を出たばかりのピカピカのキハ58はいきいきとして楽しそうであった。
有田はみかんの産地だ。沿線はみかん畑が続き、そろそろいい色になり始めていた。車庫のある金屋口で2両のキハ07を見る。ペンキもはげ、ボロボロであった。キハ58なんかよりずっと哀れであった。どんな田舎であっても走れるだけ、まだましだ。
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ボロボロのキハ07
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藤並から再び紀勢線で和歌山に戻り、和歌山、桜井両線を乗りつぶし、関西線で天王寺へ舞い戻った。
ここから924列車、あの
『はやたま』である。発車まで暇だななどと思いつつ、発車40分前にホームへ行くと、ギョギョギョ、混んでる。あわよくば1BOXと思っていたのに、座るのが精一杯。公安官が座れない人を誘導している。公安官に尋ねると、
「ええ、かえって平日のほうが混むんです。休前日なんかは臨時の『きのくに』が走りますから」
ということだった。
和歌山をすぎた頃か、車内が少しすいたので、早速1シート占領し、横になった。ところが、隣のBOXでは『はやたま』には珍しい若い女のコがきつそうに座り、眠ろう、眠ろうとしていた。いかにも辛そうなので、気になっておちおち寝ていられない。
ただ、席を交換しようなんてのは白々しいし、そのコは割と短いスカートだったので、横になるのはこっちは嬉しいが、やはりまずい。彼女にはありがた迷惑なことだろう。
「大丈夫ですか、よかったらこっちのシートで横になりませんか」
阿呆な私は結局言ってしまった。「いえ、いいです」と予想通りの答え。「いや、辛そうですョ、ネッ」と私は席を立ったが、「いいです、いいです」
結局、そこまでで私も引き下がり、寝た。しばらくして、ふと目覚めると、彼女はいなかった。隣の車両にでも行ったのだろう。あーあ、余計なこと言わなきゃよかった。one pattern!
新宮に着く頃になると、車内はがらがらになった。ここから少し引き返して那智に行こうと、まだ真っ暗な車外に出ると、さぶー、なんじゃこの寒さは、というわけですぐくじけ、このまま名古屋まで行くことにした。
新宮では40分停車する。その間、小汚かった車内も清掃され、小小きれいくらいになった。それにしてもこんなに朝早くからご苦労なことだ。こうして寝台車もはずした『はやたま『というより924列車は面目を一新し、5:48名古屋へ向けてスタートした。
ちょうど夜明けを迎え、車窓は幻想味を帯びてきた。空には細い月に星がとりまき、へぇ珍しい、あの明るさだと惑星だなあと思い、見つめていたが、後で、夕刊(朝日)をみて、あー『20年ぶりの宇宙ショー』ヘェーヘェー、もっペン、ヘェー 月のまわりに惑星が集まるのは、20年に1度、だから今度は2000年までないという。
2000年まで生きていれば、「ああ、20年前は南紀で鈍行に乗って見たんだなあ」と思い出すことだろう。本当にいい思い出になった。
924列車は、通学生を乗せたり、降ろしたりしながら走る。
さて、今朝も身体から要求され始めた。大きいのをしろと。そこは鈍行、10分停車の三瀬谷駅の駅便を利用した。今度は、駅弁。同じ『えきべん』でも片や出すほう、片や入れるほう、同音反意語とでも呼ぼうか。また国語の勉強になったなんて、どうも汚い話にとりつかれてるなあ。
駅弁を買うために、まだ停まりきらない客車から飛び降りる。停車中の駅便といい、鈍行客車列車ならではのものだろう。松坂で有名な牛肉弁当を大枚800円で買ったが、開けてがっくり。小さな小さな牛肉がふた切れ。あとはミックスベジタブル、キャベツ、たくあん、梅干、みかんと色どりだけが華やかなのが、わびしい。
わびしいのは車内も同様で、近鉄と平走するようになってから客の増えないこと。
【このあと、身内話が続くので中略】
さあ、終着名古屋が近づく。13時間57分の鈍行の旅も終わりだ。他に天王寺から名古屋まで通しで乗ったのが2人もいたのには驚いたが、彼らはその前に北陸線鈍行522列車(長岡〜米原間、所要13時間05分)にも乗ってきたというから、あきれるというか上手というか。
このまま、彼らと東京へ帰ってもいいのだが、近鉄ナローに行きたかったので、また名古屋から少し引き返し、4年ぶりに近鉄内部線を訪れた。
変わってしまった。かわいい朝顔カプラーは消え、沿線にはいかついコンクリートポールが立ち、小さなガーター橋も信じられないくらい頑丈なコンクリート製になり、車両が半分くらい隠れてしまう。変わっていなかったのは電車の匂いとタブレットぐらいか。意気消沈し、四日市へ引き返した。名古屋へ戻り、新幹線窓口、そして残された言葉はひとつ、
「東京まで、特急券」
【1980年12月発行キロポスト第93号】