上田から入った私は、各駅の印象をメモりながら、終点、別所温泉まで行った。
そこで数枚写真を撮り、折り返しの電車の中でも撮った。車内には、中老年の4〜5人の乗客がいたが、撮っているうちに、どうもその人達の支線が気になりだした。
「あいつ、何やってるんだ?」という不信の目である。あるカメラ雑誌に載っていた『撮ろうと思った人とまずコミュニケーションをもて』という言葉が切々と迫ってきた。
そろり、そろりと近寄って、
「あのォ、いつもこの電車をお使いですか?」
とワンパターンの質問。
「ええ、もう50年以上」
「実は、こういう古い電車が好きで、写真を撮りに来たんですよ」
「なるほど、だからさっきから写真を撮っていたわけですか。キャノンなんていいカメラですナ・・・・・」
ほっ と空気が和んだように思われた。そして、私は堂々と写真を撮った。
忙しい車掌さん
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ホームで安全確認。
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扉を閉める。
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車内で検札。
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電車は、車掌さんが乗りこんで発車した。車掌さんは忙しい。この電車の扉はなんと手動式なので、開ける時は勝手にお客が開けてゆくが、発車の時、車掌さんが閉めてまわらねばならない。
また、無人駅が多いので、ホームで集札したり、車内で切符を売ったり・・・・・
そんな車掌さんの姿も撮りたくて、やはり声をかけたかったが、なかなかきっかけがつかめず、やっと
「恐れ入りますが、車掌さんの働いていらっしゃるところを撮りたいんですが」
と頼むと、私でよかったらと少し照れたような笑顔で快く承知してくれた。
惜しかったのは、声をかけるのを躊躇しているうちに、私の降りる予定の車庫がある上田原駅の1つ前になってしまい、2〜3枚しか撮れなかったことである。
車庫で例のごとく、
「すみません、電車の写真撮らせてください」
と言うと、メガネをかけたにいちゃんがでてきて、
「電車が『へる』からだめだ」
なんて言うので、負けじと
「いえ、僕のカメラは性能がいいからへりません」
「いや、影が薄くなる」
そのへんで、やっとまじめに上役の人にとりついでくれた。
「結構です。どうぞ」
と許可され、さっきの人に
「へらないように撮りますから」
と言ってから撮り始めた。我ながらよくもまあ、こんなでまかせが言えたもんだと感心しながら。
庫内では、
長野電鉄の中古車が改造を受けていた。
「どういうところを改造しているのですか?」
「あちらは1500ボルトだけど、こちらは
750。だから機器を換えなくちゃならん」
などと話しているうちに、その人は
東急からまわされた人とわかり、どうりでアカ抜けているはずだと思った。
次第に話すこともなくなり、どうしようかなんて思っていると、急に、
「あーあ、もうこんな田舎は飽きた、飽きたア」
と言い捨てて、立ち去ってしまった。会話がしらけ始めていたので、実にいいタイミングであった。
ちょうど昼休みになって、庫内に誰もいなくなってしまったけれど、私にはそれのほうがよかったのかも知れない。
何処の車庫も同じムードだ。薄暗く、おまけに油でどれも真っ黒。しかし、明かり窓から射す光に照らされて鈍く光る様は、言いようのない落ち着きを与えてくれる。
そういえば、ここは電車のねぐら。ゆったりとくつろぐ電車達に囲まれて、落ち着くのもあたりまえかな?
構内の隅には、やはり廃車体が安置されており、中をのぞくと廃線になった
支線の駅名板や時刻表、運賃表など見ていてよだれの出てくるものばかりがつまっていた。
車庫の扉には古い電車の扉が使われていたり、ここの人は古いものをなかなか捨てたがらないのだなあと思った。
がらくたばかりころがっている自分の部屋が思い出された。
長居をしすぎて、予定の電車より1本あとの電車で上田へ帰った。
車内でまた車掌さんに会い、「先程はどうも」と車掌さんと私はお互い軽い会釈をしあった。
【1978年12月発行キロポスト第68号】