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アイドルが神戸の街にやってくる
マドンナに続いてアイドルとは、ちょっと調子に乗りすぎだが、勢いで続ける。続けて自爆原稿であることにも変わりない。
こじつけではなく、本当に彼女はアイドルと呼ぶにふさわしいかわいらしさだった。小柄で目鼻立ちがはっきりした姿は、まさにお人形さんのよう。
そのアイドルとは、高校時代のクラスメイト。ただ、アイドルとなると、いよいよネクラの私とは全く縁はなかったのである。
そんな彼女との再会は、やはりメールがきっかけだった。
昨年秋のこと、同窓会の幹事となった彼女から、案内のメールが届いたのである。ただ、そのときは東京へ行く都合もつかず、欠席する旨返信したのであった。
実は、高校時代には苦い思い出のほうが多い。小中学校のとき以上にクラスになじめず、おかげでいつも「さん」付けで呼ばれていた。つまり「お客さん(よそ者)」扱いだったのである。もちろん、その原因は、心を開かなかった自分にあるので、クラスメイトを責めることはできない。そんなこともあって、高校時代のことは、鉄研以外、思い出すことをなんとなく避けていた。
そんなことをしているうち、本当に忘れてしまった。
基本的にクラス替えもなく、3年間一緒だったのに、彼女のメールにあった何人かのクラスメイトのことを全く思い出せず、愕然とする。
こんな状態では、とても同窓会に顔を出せたものではない。出席を断ったのは、正直なところ、そんな理由もあったのだ。
年が明けたころ、再び彼女から、神戸に行くので会えないかとのメールが入った。神戸にはどんな用件で?と問うと、私に会うのが目的だという。
正直、驚き以上に戸惑いのほうが大きかった。高校時代に親しかったならともかく、冒頭に書いたとおり、言葉を交わしたことがあったかも怪しい。彼女自身もおとなしい感じだったのに、何が彼女を駆り立てるのか。
メールのやりとりで、その理由がわかってきた。
詳しい内容を書くのは控えるが、彼女はまさに辛酸をなめる経験をしていたのである。他のクラスメイトからも、本が書けそうと言われたそうだが、確かにドラマとしか言いようのない壮絶な人生を歩んでいたのだ。
その出来事は、サラリーマンの私には、想像もし得ないことで、私が同じ立場だったら、きっと尻尾を巻いて逃げてしまっただろう。
それを彼女は乗り越えてきた。
その課程で、彼女は数多くのものを失ってしまったはずだが、人とのつながりは大切に、大切に守ってきたに違いない。だからこそ、高校時代の控えめなイメージとはうって変わって、同窓会の幹事役を引き受け、欠席した私にわざわざ会いに来るのだ。
これはできる限りの歓待をしなければ。
最初の戸惑いは雲散霧消し、前向きな思いに変わる。
東日本大震災で、いったんは日延べせざるを得なかったものの、秋にいよいよ再会の日を迎えた。さすがに緊張で喉がからからになって、待ち合わせ場所に出向く。ソファにちょこんと座っていた彼女は、高校時代の面影を残していて、すぐにわかった。
食事に向かう道すがら、
「もう高校時代の会話量を超えたよね」と言うと、
「そうね」と素直に認める。
それくらい高校時代は接点がなかったのである。
家族のこと、仕事のこと、そしてもちろん高校時代のこと、思いつくまま話をする。
目の前の彼女は、いい意味で変わったと思う。小柄な彼女が大きく見える。凄みと言ってもいいかも知れない。のほほんと生きてきた私とは大違いだ。
彼女の苦労話も重すぎて、しっかり受け止められない自分が歯がゆい。
でも、彼女のおかげで、何人かクラスメイトも思い出すことができた。きっと、話題にのぼったクラスメイトは、その日ずっとくしゃみが止まらなかったことだろう。
派手な性分ではないので、大いに会話が盛り上がるというより、淡々としたものになってしまったが、楽しくて、なつかしいひとときであった。
東京に帰った彼女から届いたメールの「ホッとする時間だった」というコメントが心にしみる。
なにより「さん」付けのよそ者扱いだった私に会いに来てくれたこと自体、感激である。
仮名で申し訳ないけど、ありがとう、アイドルことWさん。