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久しぶりの国立

 今回はプライベートなこと。
 いや、いつもの「余談」だって、プライベートなことしか書いていないが、今回は特にその色が強くて、ホームページに公開するようなことではないような気がする。会社の人や家族も読んでいるようなので、なおさらだ。まあ勢いで書いていこうか。

 お盆休みに小学校の同窓会を開くという知らせが届いた。
 もともと人づきあいの悪い私は初めての出席で、実に卒業後36年ぶりである。さすがにクラスメイトの名前も覚束ない。
 名前を確かめたくても、卒業アルバムは東京の家に置いたままだったので、例によって出張の機会を狙って1日休みをとり、ゆっくり家に取りに帰る算段であった。
 ところが、出張の直前に会社で事件がおき、そうそう会社を空けてはいられない状況となってしまった。さすがに事件の内容は書けないが、正直に言うと、これまでのサラリーマン生活の中で、もっとも応える出来事と言っても過言ではない。
 本来、会社に残って対応に当たるべきなのだろうが、ゆっくり一人で考えたいということもあって、半日だけ家に寄り、夕方会社に戻ることにしたのであった。

 同窓会の知らせが届いてから、頭の中をASKAの曲「同じ時代に」が駆け回っている。
 『滴が床に落ちるような時間で 僕らは生まれ合った
  幸せだとか 悲しみだとかを分け合いながら
  同じ時代(とき)を 歩いて行く 僕たちさ』
 詩にいう「僕たち」とは恋人同士であるが、私にとってはクラスメイトのことを言っているように思えてしまうのである。30年以上音信不通であっても、同じ時代に生まれ合い、歩み、歩んだ仲間たちだ。

 東京駅から中央線の新型車両233系に乗る。最近は帰省に車を使うことが多かったので、中央線自体が久しぶりだ。だから233系はもちろん、三鷹以遠の高架も初めてであった。
 また同じASKAの曲、
 『流れる景色が落ち着いて ドアが開く
  吹き込むような風をわけて 降り立った街
  あのころがもうすっかりと 懐かしい』
 と、国立駅に降り立ったつもりが、変わりすぎていた。あの三角屋根の駅舎がなくなったことは聞いていたが、それにしても・・・。

 少し時間があったので、メインストリートの大学通りにあるスターバックスのテラスで一服。
 何が変わって、何が変わっていないか、目に入る街並をひとつひとつ確かめていた。
 大学通りの桜や銀杏は昔のままだが、このスターバックスも当時はなかったし、そもそもあの駅舎がなくなってしまった。
 いや、変わらないことがいいこととは言えない。私自身、変わってしまったし、まだ変わらなくてはいけない。
 36年か。人づきあいが苦手という口実で不義理をしすぎた。様々な思いが去来する。

国立駅1986年4月
満開の桜と三角屋根の国立駅。
それにしても、もう少しましなアングルで撮れなかったものか。(1986年4月撮影)




 バスで家に向かう。
 下車した停留所の近くには、クラスメイトのN君の家がある。
 童顔にいつも笑みを浮かべて本当に気立てのいい男だった。変な連中にからまれたときも、にこにこしている彼には誰も手を出せない。
 でも、N君はもうこの世にいない。1985年、日航ジャンボ機墜落事故の犠牲となり、御巣鷹山に散ってしまったのである。
 それからでも22年経ってしまった。にこやかな彼を見習わなきゃ、と思いながら、変われないままの自分がいる。
 彼の家の表札は昔のままだが、その隣に同じ姓の新しい表札がある。弟さんがいたはずだから、きっとご両親と二世帯で暮らしているのだろう。
 思わず挨拶を、と一歩踏み出す足を止める。出張かばんを提げて突然伺うのは失礼で、穏やかな暮らしを乱すだけではないのか。こちらも少々心が乱れたままで、正常な判断ができていないような気がする。
 踵を返してまっすぐ家に帰ることにする。その判断でさえ正しかったのかわからない。

 家に近づくと、2軒隣で、クラスは違うものの、やはり同級生の女の子の家が跡形もなく更地になっていて驚く。かわいらしい活発な子で、小さいときからスチュワーデスになると言っていたのを本当に実現したがんばり屋でもある。
 ご近所でありながら、ネクラの私とは性格が違いすぎて、交流はほとんどなかったが、社会人になりたてのころ、たまたま帰省時にバス停で一緒になったことがあった。楽しそうにフライトの様子を語る彼女を、まぶしげに見つめていた自分が思い出される。
 それにひきかえ、今ここにいる自分は、子供の頃に夢描いていたものとはずいぶん違ったところにいるような気がする。
 いや、それも自ら選んだ道だから悔いはない。生かされているのに悔いがあるなどと言ったら、N君に申し訳がたたないしね。

 押入れを家捜しして、卒業アルバムを引っ張り出す。アルバムを見るのも30年ぶりくらいか。
 埃を払って開くアルバムで真っ先に探すのは自分ではない。誰かというのは、いよいよ書きにくいので村下孝蔵の世界とでも言っておこう。ばればれか。
 今回の同窓会の連絡で、久しぶりに言葉を交わした、といってもEメールというのが現代らしいところだ。
 ただ、当時でさえ、ろくすっぽ話したこともなかったのに、今になってEメールをやりとりしたおかげで、年甲斐もなく動揺している。
 クラスメイトにはもう一人、変な意味ではなく、憧れの男子がいた。学業、スポーツとも万能でありながら、それをひけらかすこともなく、本当にまぶしい存在だった。子供心にも将来は偉くなると思っていたとおり、今は大学教授だそうで、手放しで嬉しい。自慢の同級生だ。

 そして、アルバムに挟んであった自分の写った数葉のスナップ写真を見て、また驚く。
「これが俺か?」
 こんなに穏やかな顔をしていたのか、自分のことでありながら忘れていた。
 初心に帰れということか。
 36年前の自分の写真から諭される。
 何もかも行き詰ってしまったように感じていたが、同窓会がいい機会だ、素直に初心に帰ろう。
 同窓会はもう来週8月12日、くしくもN君の命日でもある。

【2007年8月記】

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