一応、棚ざらえは続けているつもりだが、ちょっとそれは横に置いて、昨年末、娘のリクエストで松山の奥道後温泉へ車で家族旅行したときのことを書いておこう。もっとも、娘のリクエストを正確に言うと、温泉付きの部屋に泊まりたいというものであったのだが、年末ということもあり、予算内で泊まれる宿は、奥道後しか空きがなかったのである。
そんな理由で出かけるとは松山の人たちには申し訳ないのだけれど、松山は伊予鉄道の撮影で何度も訪ねたなじみ深い街だ。家族旅行で出かけるのも悪くない。娘も異論はなかったので、寄りたいところを調べておくよう言っておいたのであった。
出発の数日前、どこへ行くか決めたか尋ねると、
「宇和島の鯛めしを食べたい」
「はあ?」
という按配で、そのほかは何も調べていないという。もともと一泊二日の松山往復でもハードなのに、宇和島まで足を延ばすのは無理。しかたなく自分で行程を組み、往路はオーソドックスに明石海峡大橋・鳴門大橋経由で四国へ渡り、帰路はしまなみ海道・山陽道経由として、途中で何か所か立ち寄ることに決めたのであった。
迎えた当日、あいにくの寒波で天候は悪い。もともと雨男の気はあるが、3人揃って出かけると、さらに拍車がかかるらしい。春の瀬戸内・倉敷旅行はみぞれのような氷雨に打たれ、夏の山陰旅行では土砂降りの中で露天風呂に入ったものだ。
今回も同じく、雪になりそうな雨の中、最初に立ち寄ったのは、徳島県脇町(美馬市)の「うだつの町並み」
「うだつ」とは、隣家との境に設けられた防火壁のこと。これを高くすることが繁栄の証なので、その逆の状況が、ご存知のとおり「うだつが上がらない」というわけだ。
そんな「うだつの町並み」が、失礼ながらこんなところに残っているとは、うだつにも、いや、うかつにも事前に調べるまで知らず、ぜひ寄ってみたいと思ったのである。
訪ねてみると、予想以上に「うだつ」が残っていて、とても印象に残る町並みであった。できれば天気のいい日に来たかったが、寒さに震えて通りにある「角屋」という喫茶店で休む。古風なつくりの落ち着いた雰囲気で思わず長居をしてしまった。
結局この日は「うだつの町並み」に立ち寄っただけで、奥道後温泉へ向かう。泊まった宿は、古い建物を改装して無理やりバルコニーに浴槽を設けたつくりであったが、思ったほど悪くはない。
翌朝、定番の道後温泉本館や松山城へ。娘がネットで調べて、松山城の近くに宇和島の鯛めしの店があるというので、そこで昼食をとることにする。
「丸水(がんすい)」その店名にどこか聞き覚えがある。既に行列ができていて、最後尾に並んだものの、小さな店で回転が悪く、なかなか列が進まない。やむなくその間、交互に近くの今治タオルの店をのぞいたりしながら、待ち続ける。一人のときは並んで食べるなんてことはしないが、これものんびりした家族旅行ならではである。
2時間以上待って、ようやく席に着く。お目当ての鯛めしは、生玉子を落としたつけだれに鯛の刺身を和えて、お櫃からよそった丼飯にかけて食べるスタイルで、これが絶品なのである。ただでさえ玉子かけご飯は食が進むのに、鯛が加わるのだから最強である。ご飯自体、いいお米を使って炊き方も丼にぴったりでおいしい。娘が珍しくお櫃をおかわりするほどであった。2時間並んだ甲斐もあったというものである。
鯛めしはうまかったものの、時間も食ってしまった。あと1カ所だけ寄って神戸へ帰ることにして、向かったのは今治のタオル博物館。ここは今治出身の同僚に教えてもらったのだが、いわゆる「今治タオル」ブランドと言うより、雑多なタオルの土産物屋という風体である。
ここへ立ち寄ったのは、タオル目的ではなく、娘が大好きなムーミン展が開催されているのが理由である。おまけにミッフィで有名なディック・ブルーナの展示もあって、娘も満足そう。
それにしても、今回は(も?)娘の言いなりで、娘に甘い男親を地で行く旅行であった。
帰宅後、部屋に積み上げた文庫本の中から、吉村昭の「味を追う旅」(河出文庫)を取り出し、ぱらぱらページをめくると、あった、やっぱり。編集者たちと出かけた宇和島で「丸水」の鯛めしを食べたことが書かれていた。
その箇所にしおりを挟んで、「ほら、吉村昭の本に丸水が出ているよ」と居間のテーブルに置く。
しかし、翌日になっても読んだ形跡はない。そもそも吉村昭に興味はないか・・・すごすごと文庫本を引き上げたのであった。