もう何十年もつきあっている持病の経過観察のため、3か月に1回、病院に通っている。午前中に検査をして、午後にその結果をもって診察を受けるという流れだ。
昼をまたぐことになるので、病院の周辺で昼食をとることになるが、幸い、病院は神戸の台所と言われる湊川市場に近く・・・と書いてしまうと、どの病院なのかばれそうだが・・・食べるところには事欠かない。とはいえ、食事にあまりこだわりがないこともあって適当に済ませるのが常で、それよりも迷路のような市場を散策するのが楽しみなのだ。
そもそも湊川市場と呼んだものの、実際は東山市場など複数の市場が混在しており、自分がどの市場にいるのかもよくわからないままなのだが、新興住宅地で育った身にとって、市場の活気は心躍るものがあり、並べられた商品を眺めながら、そぞろ歩いているのである。
そんな市場も一部がマンションに建て替わるなど、姿を変えつつある。でも、マンションの1階にはしゃれた店が入って結構繁盛している。必ずしも昔のままがいいとは言えず、むしろ廃れてしまうおそれがある。時代の流れに応じて変わっていくことは、生き残りのためには必須だとも感じるのである。
前置きが長くなったが、それで湊川のJ君とはいったい何者なのか。
診察まで市場を散策と言っても時間は余るので、ここ数年はとある喫茶店に落ち着き、ホームページの原稿などを書いている。その喫茶店のマスターが湊川のJ君なのだ。J君とは、この「余談」で触れた
従弟のことで、マスターの風貌だけなく常連客との気さくなやりとりが、どことなくJ君を彷彿させるのである。もちろんJ君とマスターとは何のつながりもないので、私が勝手に決めた呼び名だ。そんなマスターの顔を見るために必ず立ち寄るようになったわけなのだ。
もうひとつ立ち寄る理由は珈琲にある。初めて口にしたとき、かなりアレンジしているが、なんとなく萩原珈琲のように思えたので、湊川のJ君に尋ねると、まさにそのとおり。聞けば、もともとは神戸でも有名な老舗珈琲店・・・これまたばれそうだが・・・で働いていたが、もっとお客さんと話がしたくて独立したという。確かにその老舗珈琲店で、店員とお客さんが雑談するシーンは想像できない。一方の湊川のJ君は、店のお客さんだけでなく、店の前を通りがった顔見知りにも「こんにちわ!」と声をかけている。そんな活き活きとした姿を見れば、独立して苦労はあったかも知れないが、正解であったことは言うまでもないだろう。
それて仕入先に萩原珈琲を選んだのは、老舗珈琲店とは全く違う風味に驚き、それが気に入ったからだという。
「だって、砂糖とミルクを入れたらキャラメルみたいになるでしょ」と言われて、まさにそのとおりなのだ。私自身、普段はコーヒーに砂糖は入れないのだが、これも「余談」で取り上げた萩原珈琲を扱う珈琲館では、砂糖とミルクを入れている。キャラメルのようなとろみもさることながら、よりコクが深まるように感じられるのだ。
この店では、常連客はまっすぐカウンター席へ向かい、一見客や2〜3人連れの客はテーブル席に案内されるというのが通例で、3か月に1回の来店では常連とは言えない私はテーブル席だ。店の場所が市場の一角に加え、平日の昼間ということもあって、常連客は年配者ばかり。そうなると、どうしてもマスターとの会話は体調や通院の話になりがちだ。かくいう自分も通院のついでなのだが、常連客はさすがみな人生のベテランで、話に悲壮感はない。先日の通院時も昼食後に店でコーヒーを飲んでいると、常連客がカウンターへ。
「最近の病院は、いちいち名前だけじゃなくて生年月日まで言わされるからかなわんわ」とぼやく。
「患者さんを取り違えないようにしているのだから、いいことじゃないですか」とマスターが答える。
「いやあ、もうろくして自分の誕生日を思い出すのも大変で」と常連客が返す。
もちろんジョークなのだが、そんなやりとりを、頬を緩ませて見守っているのである。