東青梅を発車して単線になると、迫りくる山とともに、なつかしさも迫ってくる。
はっきりと車窓に見覚えがあるわけではない。乗っている電車も、耳に入るのは旧型国電のツリカケ音ではなく、録音された機械的な233系のアナウンスだ。
それなのに、このなつかしさは何だろう。
予め決めていた御嶽駅で下車。
駅舎は40年前の1976年に撮った下の写真と比べても、ほとんど雰囲気は変わっていない。
ただ、1976年の写真には、壁に何やらスローガンが書かれている。
「来年はオリンピック 文化国家日本の交通道徳を高めましょう」
オリンピックとは、2020年・・・のはずはなく、1964年の東京オリンピックに違いない。ということは、このスローガンは1963年に書かれたわけだ。オリンピック後でも、交通道徳のくだりは使えるので、そのままにしたのだろう。
それにしても、撮影当時でも「文化国家日本」と大上段に構えたスローガンは仰々しく感じたものだ。新興国のオリンピックで変に力が入っているのを笑えない。日本もなんとか一人前として認められたいと必死だった時代があるのだ。
あの頃、子供心にも、日本中が前向きで希望にあふれていると感じていた。昨日より今日、今日より明日、確実に世の中が進歩していることを実感していたのである。まさに高度成長時代のことであるが、そんなことに思いを巡らすのも、またなつかしい。
特に撮影場所を決めていたわけではない。沢井駅へ向けてぶらぶら歩きながら、列車が来る頃合いをみて撮影する。なので、写真は大した出来ではないが、とてもゆったりした気分で撮影が楽しい。これも久しぶりの感覚で、ED16を撮りに来ていたころを思い出す。
何が今と違うのだろう。
当時、撮影に失敗しても、時間は無限にある、また来ればいいさと、のんびり構えていた。おかげで撮り逃した被写体も多いのだが、心に余裕があったことは間違いない。
それが余命のほうが短くなった今は、もう次はないかも知れないと、無意識の焦りがあるのではないか。
撮り鉄は趣味であることは言うまでもないが、いつの間にか義務感のようなものに縛られていた。久しぶりに青梅線を訪ねて、趣味を楽しむことを思い出させてくれたのであった。
沢井駅を経て、青梅街道から軍畑駅へ向かう急坂をふうふう言いながら登る。学生時代に、この坂がしんどかったという記憶はない。これも歳か。
すっかりばててしまい、駅前の商店で冷たいジュースを買って、しばし休憩。
本当は、このまま二俣尾、石神前と歩き通すつもりだったのを、あっさり諦めて、軍畑の鉄橋を絡めて上下数本を撮影。
軍畑の有名な鉄橋は、架線柱が立って少し姿を変えながらも健在なのがうれしい。
最後に下り列車を撮って駅へ戻ると、次の上り電車まで30分近くある。
でも、ベンチに座って待つ時間は、苦になるどころか、なつかしさに包まれて心地よいひとときなのであった。