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スカウト
もう1年前(実を言うと、当初の原稿は「先日」で始まっていたのだが、ずるずると時間が経ってしまったのである)のことになるが、行きつけの店が閉店してしまった。
行きつけと言っても、ドトールコーヒーなどと同様、チェーンのコーヒー店なのだが、会社にも近く、朝晩、ちょっと立ち寄るのに便利だったのだ。
フランチャイズ契約を結んでいたのは、コーヒーとは無縁の企業で、不慣れな社員が店長ということもあって、正直なところ、接客としてはどうかな、と思うことも多々あった。喫茶店の店長になるために入社したんじゃないと、モチベーションも上がらなかったのだろう。
だから、店を実質的に仕切っていたのは、アルバイトの店員たちのほうで、その中でも女性店員のKさんが、ひときわ光っていた。
そう、またかと呆れられるだろうけど、この店にもお気に入りの女性店員がいたのである。
どんな点がお気に入りだったのかは、もうワンパターンなので省略するが、顔なじみになったのは、もう数年前、店じまいよりずっと前のことだ。
ただ、しばらくするうち、彼女が、そろそろ喫茶店のアルバイトも潮時と感じているように見えてきた。ひいき目かも知れないが、彼女なら、もっと違う分野で活躍できる可能性を秘めているように思えたのである。
そのころ、会社で急に臨時社員の必要に迫られたことがあった。
そこでふと思い浮かんだのがKさん。とはいえ、いきなり声をかけるのはおかしいし、どうしようと思いあぐねて店を訪ねると、たまたまKさんがひとり店番をしている。今しかないと焦ったこともあって、いきなり「どう、うちの会社で働かない?」と声をかけてしまったのである。
Kさんは、こわばった顔で「いえいえ」と大きく手を振り、一瞬で撃沈。
当たり前だ。私がどんな会社に勤めているかも知らないはずなのに、唐突に誘うのだから。
「やっちまったな」と正直反省するしかなかった。
数日後、ちょっと気まずい思いで、コーヒーを飲みにいく。Kさんはいるが、もちろん、だめ押しなどはしない。
しばらくすると、Kさんが、店内のチェックに入り、すぐ近くのテーブルを念入りに拭いている。
もしかして、声をかけられるのを待っている?
- - - 本当に懲りないやっちゃ。よくもそこまで自分に都合よく考えられるもんだ。次しくじったら、取り返しがつかないぞ - - - という声が聞こえたものの、もう1回だけチャレンジ。
「この前は急に声をかけてごめんね」
「いえ、ちょっと驚いて断ってしまって、すみませんでした。よろしかったら詳しい話を聞かせていただけませんか」
よっしゃ、つかんだ。心の中でガッツポーズ。
店で話すわけにはいかないので、変な話だが、店が終わったあとに、別の喫茶店で待ち合わせる。
やってきたKさんは、私服のホットパンツ(って、今は言わない?)姿で現れ、ちょっとどぎまぎする。いつもは店のシックな制服で、しとやかな印象が、服装だけでこんなにあでやかに変わるんだ。
いやいや、そんなことより仕事の話。
話し始めて、最初の勘も当たっていたことがわかった。
慣れない店長から、アルバイトの指導役を頼まれ、ころころ入れ替わるアルバイトを、何人も一から指導していくのにも疲れたので、近く辞めるつもりだったという。それなら好都合じゃないか、と思ったが、そこから先のもくろみが外れた。
東北に転勤してしまった彼の元に嫁ぐので、働けるのは半年くらいだという。
当時彼女は24歳。未練がましく、つい「まだそんなに結婚を焦る歳じゃないのに」と言うと、
「早く子供を産みたいんです」
まっすぐこちらを見据えて答える。
勝負あった。もう引き留める言葉はない。
このご時世に、子供が欲しいとはっきり言えること自体、見上げたものじゃないか。さすが見込んだだけのことはある。
「お幸せに」
そう言って、面談を終えたのであった。
それからしばらくして、Kさんは店を辞め、店も閉店してしまった。
彼女はどうしているだろう。慣れない東北の地で、赤ん坊にかかりっきりかな。
と、当初の原稿はここまでであったのだが、彼女が嫁ぐと言っていた東北というのは、福島県の湾岸部、つまり、先の東日本大震災の被災地なのである。
彼女の消息を知る術はなく、無事をただ祈るしかない。
補遺