棚ざらえをしているはずが、半年くらい前に書いた原稿が、あまりにワンパターンの内容に気おくれしてしまい、お蔵入りしかけていた。
でも、ワンパターンはいつものことだと開き直り、ええいままよとばかり掲載することにした次第。
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ようやく見つけた安息の地。
兵庫県西部の工場勤務のころは、帰りがけに
タリーズのSさん目当てにしょっちゅう寄り道したものだ。それが一転して街中の事務所へ転勤となり、喫茶店には事欠かない環境となった。にもかかわらず、かえって街中であるがためにどこも人が多くて落ち着かず、あてどなく店を転々とする日々が2年近く続いていた。
ところが半年くらい前、ふと入った喫茶店の居心地が思いのほかよくて、足繁く通うようになったのである。この店は大きな商店街に面しているのだが、1階は販売店舗で、喫茶は上層階にあるせいか、予想外に静かなのだ。そして、もうばれているような気がするが、決め手はお気に入りの店員ができたことなのであった。
その店員は I さん。かわいいというより清楚という言い回しがふさわしいお嬢さんだ。
店に通い始めて何回目か、いつもは席に着くとすぐに水とおしぼりを持って注文を聞きにくるのに、その日は少し間が空いた。どうしたのかなと思っていると、 I さんがコーヒーと一緒に持ってきたのである。
「コーヒーでよろしかったですね」
晴れて常連客扱いとなった瞬間である。ほかにスタッフもいる中で、こうした対応をしてくれるのは I さんだけ。まさに私のツボのど真ん中で、ファンになるのは必然なのであった。
とはいえ、彼女は口数の多い方ではなく、ドトールのTさんやタリーズのYさんのように話し込むことはない。二人きりになる機会も結構あるのだが、沈黙の時が流れる。それでも、何となくお互い気持ちは通じ合っている・・・なんて思ってしまうところが何ともおめでたい性格であるが、居心地の良さに拍車をかけるのである。
限られた会話の中で唯一のエピソードと言えるのが、普段は裸眼の I さんが珍しくメガネをかけていたときのこと。思わず、
「さてはコンタクトをしたまま寝たな?」と茶化すと、
「いえ、眼はいいんで、これは伊達メガネなんです」
何でも、ある男性客からスマホでパシャパシャ写真を撮られて迷惑なのだが、お客さんに文句も言えないので伊達メガネをかけたそうな。それって変装したつもり? 本人には悪いけど、その発想がおかしくて「美人も大変だね。でもメガネフェチもおるからね」と軽口をたたきかけたが、彼女には通じないような気がして控えたのであった。かように気軽にいじれるタイプではないものの、大事にしたいという思わせる雰囲気を持ち合わせているのである。
先日のこと、珍しく彼女の方から声がかかった。
「禁煙されたんですか」
実は最近、電子タバコ(加熱式タバコ)に転向して、灰皿を使わなくなったのだ。それから彼女に会ったのは2回しかなく、もう気づくとはさすがである。
「電子タバコにしたんだ」とJTのプルームテックを見せる。
「すごいですね」
「いやいや、こんな悪足がきするくらいなら、潔く禁煙すればいいんだけどね」と答える。
気にかけてもらったおかげで、この日はいつも以上に気分が良くて、帰り際に、
「明日の金曜は用事があるんで、また来週」と声をかけると、
「あ、来週はほとんど出られないんです」と彼女が残念そうに言う。
う〜ん、 I さん目当てなのは当の本人にもバレバレか。いやいや、もしかしたら彼女も私と会えないのがさみしいのかも・・・おいおい、また我田引水の思考回路に入り始めたぞ。
「実は試験を受けるので、その準備をしなくてはいけないんです」
「試験?」
「4月から就職が決まって、会社から資格試験を受けるように言われて」
あら、まだ学生だったのか。落ち着いた振る舞いからもう少し年長かと思っていた。
「それはおめでとう」
「ありがとうございます」
そう言いながら「ここもあともう少し」と伏し目がちにつぶやく。
やっぱりさみしいんだ・・・だから妄想はやめろって。
試験から数日後、店を訪ねると、折りよく I さんがシフトに入っていた。何はさておき試験の結果を尋ねると、見事合格したという。
「それはよかった。そうなるとここもいよいよ2月末までかな」
「いえ、3月19日までなんです」
「ずいぶんぎりぎりまで」
「辞めないでくれって言われてしまって・・・」
「そうそう、それは俺も同じ」という言葉はさすがに飲み込む。
タリーズのSさんの卒業を見送って3年。またお気に入りの店員が巣立っていく。でも、前途洋々の若者を見送るのは、なんとも気持ちがいい。 I さんに幸多からんことを心から願う。